2015年12月6日日曜日

翰園碑林(翰园碑林,hàn yuán bēi lín,かんえんひりん) 1985 ★



開封二日目。朝一から鼓楼周辺で朝粥をすすり、清明上河園へと向かおうとするがまだ早すぎて開いていないというから、時間を有効利用する為にその横に位置する翰園碑林(翰园碑林,hàn yuán bēi lín,かんえんひりん) を先に見に行くことに。

ここは昨日の夕方に訪れた龍亭公園の西側に杨家湖を挟んで位置している。ちょうど杨家に突き出す形となっており、その為に湖周囲から非常に見やすい焦点となるためにこの場所が選ばれたのは容易に想像がつく。

この翰園碑林はどのサイトを見ても、「3800基の碑石を持ち、中国で最初で最大の民営碑林」という説明があるが、その前に碑林(碑林,bēi lín,ひりん) が何かと言うと、石碑という歴史の中である事柄を記念して石に文字を彫りこんで建てたものを集め、まるで林の様になった場所のことであり、刻む無いようによっては、歌を刻んだものが歌碑(かひ)であった、詩を刻んだものを詩碑(しひ)であったりと様々な内容があり、紙媒体が普及する以前の時代においては、ある事柄を後世に残そうとしたときに、石をいうメディアに文字を刻み込むという行為が選ばれたのも自然に納得できてしまう。

そんな訳で、必然にこれだけの石碑を作ること、そして大量の石碑を集めることが出来たのは、歴史の中でも文化的に成熟し、それを許すだけの経済的背景を持つことができた場所として、首都などある種の集中を持った場所となる訳である。この開封の翰園碑林は以外には、西安碑林や曲阜碑林などもよく知られているという。

この場所自体の歴史となると1985年から整備が始められたということなので、古い歴史をもっている場所というよりは、近代に入って様々な場所から集められて石碑を一堂にこの場所に集め博物館的な扱いにしているということであろう。

敷地の北側に位置する楼閣は屋外に面するように廊下が連なり、そこに黒い石碑が数多く展示されている。様々な時代の石碑に分けられており、中でも「書」の観点から見てかなり貴重な石碑が展示されているということである。

逆に敷地の南側は広大な庭園となっており、面する湖と共に様々な風景を見せてくれる。こうして庭園と石碑展示が共に楽しめる場所ということなので、景色を楽しみながら、石碑を眺め北側の出口へ向かい横の天波楊府へと足を向けることにする。
























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