2015年10月28日水曜日

「萌の朱雀」 河瀬直美 1997 ★★★

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スタッフ
監督 河瀬直美
脚本 河瀬直美
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キャスト
田原孝三:國村隼
みちる:尾野真千子
幸子:和泉幸子
栄介:柴田浩太郎
泰代:神村泰代
みちる(幼少期):山口沙也加
栄介(幼少期):向平和文
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フランスの映画祭、カンヌ国際映画祭でグランプリを獲得するなど、海外にてその評価が非常に高い河瀬直美。1969年生まれでまだ若く、かつ女性ということもあり、現在の映画界の中でも非常に特殊なポジションを得ている。

そんな彼女が世間から注目を浴びるきっかけとなったのが、1997年の第50回カンヌ国際映画祭で「カメラ・ドール」とよばれる新人監督賞をこの「萌の朱雀」にて獲得したこと。

その後2007年に「殯の森」にて第60回カンヌ国際映画祭グランプリを受賞するなど、確実にキャリアを伸ばしている映画監督であるが、やはりフランスの映画界で評価されていることもあり、なかなか日本での興行的にはそれほどヒットという感じではないようであるが、一部の映画ファンからは好評を得ているようである。


1992年 につつまれて 
1993年 白い月 
1994年 かたつもり 
1995年 天、見たけ 
1996年 陽は傾ぶき 
1997年 萌の朱雀 第50回カンヌ国際映画祭 カメラ・ドール(新人監督賞)
1997年 杣人物語 
1999年 万華鏡 
2000年 火垂 
2001年 きゃからばあ 
2002年 追臆のダンス 
2003年 沙羅双樹 
2004年 影-Shadow 
2006年 垂乳女〜TARACHIME〜 
2007年 殯の森 第60回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞
2008年 七夜待 
2009年 狛-Koma 
2010年 美しき日本・奈良 (日本アーカイブス) 
2010年 玄牝 -げんぴん- 
2011年 朱花の月  
2012年 塵 
2014年 2つ目の窓 第12回ウラジオストク国際映画祭グランプリ受賞
2015年 あん 第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門オープニング作品


劇中に描かれる監督の出身地でもある奈良の美しい風景。「なんだか少々見覚えがあるな・・・」と思って調べてみると、やはり奈良の西吉野周辺で撮影が行われたという。丹生川上神社中社を訪れた際に通った緑深い山の風景。その所々で現れる小さな集落の美しさ。その記憶をまざまざと蘇らせてくれる映像である。

もう一つ印象的なのは撮影の行われた奈良県吉野郡西吉野村出身で、当時地元中学校で靴箱の掃除をしている際に監督の河瀬直美の目にとまり、急遽主役として映画デビューすることになったみちる役の尾野真千子の美しさ。素朴でいながら、明らかに眼に留まるその素の美しさ。現在までのその後の活躍が裏付けるように、監督の目の付け所の正しさを物語っているようである。

映像として非常に美しく、見慣れたテンポの良い映画ではなく、映画ならでもゆったりとしたリズムを描き出し、物語自体は決して派手なドラマは起こらないが、しっかりとその地に生きる人々にとって一生に一度か二度ある大きな転機に際して、人々がどのように応じ、変化していくかを淡々と描き出す。そんな監督の手法がストレートに表現されている良作である。






2015年10月24日土曜日

月の花 11月 菊


日本人にとって菊(きく)と言えば、さまざまな側面があげられる。

まずはお墓参りや葬式などでお供えする花として親しまれているのがこの花。その理由としてはさまざまあるようであるが、花が長持ちし、枯れる際も花びらがあまり散らばらず、周囲を汚さないためお供えに適していると選ばれるようになったという。また古くから漢方の世界でも薬草として使用されていたのも手伝ったようである。そのために病院などに見舞いの花として持っていくのはタブーとされている。

そして次に「菊の紋章」、天皇家の家紋である「菊花紋章(きくかもんしょう)」。これは鎌倉時代には、後鳥羽上皇が菊を好み、自らの印として身の回りのものに愛用したことから、その後皇室の紋として定着したという。

次は9月9日の重陽の節句。菊が咲く季節であるために、またの名を菊の節句といい、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりとしていた節句である。そんな菊の花言葉は「高貴」「高尚」「高潔」。これらは気高く気品に満ちたキクの花姿に由来するとされている。また異なった色の花が咲くことで、赤い菊は「あなたを愛してます」、白い菊は「真実」、黄色い菊は「破れた恋」となんとも詩的なものばかり。

東京周辺であれば、やはり湯島天神や新宿御苑が菊の名所として知られているらしいので、これらのしゃれた花言葉を意識して、深まる秋を想いに鑑賞しに行きたいものである。

1月  / 水仙
2月 梅 / 椿 / シクラメン
3月 桃 / 沈丁花 / 白木蓮 
4月 
5月 バラ
6月 紫陽花 / 花菖蒲 
7月 向日葵 / 朝顔 / 蓮
8月 コスモス / 向日葵
9月 彼岸花  / 金木犀
10月 シクラメン / 山茶花 / 金木犀
11月
12月 水仙

「かぐや姫の物語」 高畑勲 2013 ★★★


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スタッフ
監督 高畑勲
原作 『竹取物語』 
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キャスト
かぐや姫(タケノコ):朝倉あき
捨丸:高良健吾
翁 :地井武男
媼 :宮本信子
相模:高畑淳子
女童:田畑智子
斎部秋田:立川志の輔
石作皇子:上川隆也
阿部右大臣:伊集院光
大伴大納言:宇崎竜童
車持皇子:橋爪功
北の方:朝丘雪路
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原作を、その成立時期や作者は不明であるが日本最古の物語と言われる「竹取物語」としている本作品。少なくとも平安時代初期の10世紀半ばまでには成立したとされており、その内容には現代とはまったく世界の捉え方の違い、人間というものの認識の違いがその奥底に見えるのが、文字として残り、時代を超えて読み注がれる物語の強さである。

そうして見ていくと、何かしらの罪を犯したために、月の世界から下界であるこの地球におとされたかぐや姫。しかしながら、生まれながらにして大量の黄金と、誰もが認める美貌を持ち合わせているという設定が、「金」と「美」というものが時代が変われど人間の根源にまとわりつくものであり、言葉を変えれば、人の欲望はどの時代でも同じであるという悲しき性を示している。

しかもその美しさを兼ね備えた娘には、「高貴な人」とされる裕福な貴族の妻になることが何よりの幸せだと考える翁と、それを当然の様に振舞う都の人々。つまり美しいということはそれだけで価値であり、更にその上に「教養」などを付け加え、その外見の美しさに相応しい内面を備え付けていく。人の力ではどうしようもない、生まれ持った美しさの前には、人は情けないがどうしてもひれ伏してしまう、どうしても魅かれてしまうというのは、まさに時代を超えた人類の原理原則であるかのように物語りは描かれる。

表現としては、CGではできないこと。
アニメーションである強みとは何か。

そんなことに固執して生み出したような表現が重ねられ、「見たこと無いな」と思わせるある強度を持っているかのようである。音楽では久石譲、そして声優陣には高良健吾、地井武男、宮本信子、高畑淳子、田畑智子、上川隆也などなど、「良くぞこれだけ」と思ってしまうほどの豪華なメンバーを揃え、制作側の気合の入れようと、予算のかけ方が感じられる。

満月の夜、かぐや姫を迎える月からの使者達のシーンは、この世の常識とは全く違った力が降りてきているという感情を湧かせるのに十分な演出と音楽で、相当な出来になっている。様々な宗教観すら超越した存在を作り出すために、「パプリカ」のそれを思い出させるような高揚感のある音楽。

それと対比を成すように、作品内で何度も繰り返されるのは長閑でありながら、美しく整っている日本の風景に重なる童謡の数々。子供達が楽しげに口ずさみ、田植えの疲れを紛らわせるように農民が謳うのは、四季の恵みを与えてくれる大地への賛美。そしてその自然に包まれたつつましい地上での生活の姿。

使い古された「竹取物語」に新たな命を吹き込むために何かが必要だとした時に、その役割をこの作品で託されたのは「音楽」であり、この物語が描かれた時も、そして現代においても、この日本という風景の中で響きあい、共鳴するそれらの歌に時間を越えた「日本」の姿をその音楽の中に写し出そうとしたのではと、勝手な想像を膨らませてしまう、そんな一作である。







2015年10月17日土曜日

月の花 10月 金木犀 キンモクセイ


間に合った。なんとかこの金木犀(キンモクセイ)の香りが街中を満たす前に、家のフォトフレームにその花を絵が飾るために、なんとしても描きあげなければと思っていたが、なんとか間に合った。

小さいころにはその名前からなんとなく天体を想像させ、宇宙的な広がりを感じさせてくれたこの樹木は、どこにでも咲いているがその花のイメージは決して思い浮かばないような地味な木であるにもかかわらず、秋が始まるこの季節、いきなりその強烈な匂いを持って存在感を前面に出してくる。

その匂いの強さのために、汲み取り便所が主流であった時代にはその近くに匂い消しとして植えられたことも多かったという流れより、現代でもトイレの芳香剤として広く親しまれているのもこの金木犀。

その名前の由来は樹皮の様子が犀(サイ)の皮膚に似ていて、金色の花を咲かせるから「金の木の犀」つまり金木犀と呼ばれたという。その花言葉は「謙虚、謙遜、真実、真実の愛、初恋、陶酔」。いくつかは「ぜんぜん違うじゃないか・・・」と突っ込みたくなるが、ほとんど納得できるものばかり。

そんな金木犀の陶酔させるような匂いが不意に襲ってくる嗅覚の体験を楽しみに、秋の街歩きを心待ちにすることにする。

1月 / 水仙
2月 梅 / 椿 / シクラメン
3月 桃 / 沈丁花 / 白木蓮 
4月
5月 バラ
6月 紫陽花 / 花菖蒲 
7月 向日葵 / 朝顔 / 蓮
8月 コスモス / 向日葵
9月 彼岸花  / 金木犀
10月 シクラメン / 山茶花 / 金木犀
11月 菊
12月 水仙




2015年10月12日月曜日

「ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか」 香山リカ 2014 ★

一時期の盛り上がりはなりを潜め、Facebookに定期的にアクセスしている人は仕事で使っている人か、それとも食べた物や子供の写真などをアップしリア充アピールに余念が無い人たちばかり。

SNSの枝分かれはまるで生物の進化の過程を見るかのように分化を早め、Twitter、Instagram,Facebook,Google+にLineとメジャーどころの面子がほぼ決まりつつあり、Twitterで呟いて、Facebookで「いいね」を押して、そしてInstagramに画像を上げる。なんてことをしている人はよっぽどのスーパーマンか暇人かというところであろう。

このタイトルが多くの人の目を惹きつけるのは、世にあふれるこれらのSNSは自分が望まなくてもどうしても自分の日常に他の人の様子が目に入ってきてしまう。目の前で実在として存在する人間として発せられるのではなく、パソコンのモニターを前に、他の人がどう思うか十分に考えを巡らせた末に自らのイメージのプロモーションとしてアップされる様々な言葉や画像たち。

「他者」の様に、自分は皆よりも賢いんだと覚めた考察を語ってみたり、毎日いろんなところへ出かけては様々な人に囲まれる幸せな日常を語ったりと、それが視界に入るこちらとしては、「身の回りで承認欲求が満たされるなら、わざわざそれをこうしたパブリックな場に向けて発しなくてもいいのに・・・」と誰もが思ってしまう。その気持ち悪さに完全に覆われた現代の社会。

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「つながり」のメディアが生まれれば生まれるほど、他者の気持ちをいっさい慮らず、「私がこういったり行動したりしたら、他の人たちはどう思うか」という想像ができない人たちが増えている

SNS上にはいつも無数の意見、批判、見解などが渦巻いているので、探そうと思えば必ず自分の考えに近いもの、あるいは自分から見て言語道断だと思うものが見つかる。
サイバーカスケード

人間には本質的に多重な感情や欲望があると主張する。地理的・身体的・社会的制約により抑制されていた多重化への欲望が、コンピュータやネットの出現でその分陰を解かれた。ネット上の多重人格者たちは、テクノロジーの力を借りてその欲望を実現した人たちと言うことだ。

「私のことが問題。他の人がどうなろうと、知ったことではない」というウルトラ個人主義

大学生の4割が一日の読書時間ゼロ、平均27分 本は全く読まずに、スマホを一日5,6時間いじっている

「感動した」「いいね!」が感染症の様に広がる社会。文章はどんどん圧縮されて短くなり、さらには言葉ではなく、スタンプや画像でやり取りをする。果たしてSNSでつながることで、コミュニケーションが深まっていると言えるのか?それとも私たちは何かをなくしつつあるのか?
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人は現在の自分を肯定しなければ生きていけない。自らを否定し絶望の中で生きることは相当に辛い作業である。その為にどうにかして、「自分は幸せである」と思い込ませる必要があり、その為には自分の中である基準を設けて幸せを感じる絶対的なものと、それとは別に周囲の人や他人と比べることによって相対的に自分が幸せだと判断すること。

後者にとっては楽しげな写真をアップし、周囲から「いつも充実してていいね」、「毎日楽しそうだね」と言われ、思われることが何よりも自らの幸せを実感させてくれる承認作業となる。

そして薬やお酒と同じように、一度得た承認欲求はより強いものへ、より多くのものへと増加するのみ。「もっと褒めてほしい」、「もっと認めてほしい」と。

人が誰でもその心のうちに秘めていた様々な欲望。それらがネットという世界の出現により、様々なうちに背中を押され、加速され、増殖されていった。100年後くらいには「ネットが出現し、社会インフラとなった30年で、それ以前には見られなかった犯罪や社会現象が何だったのか」ような分析が、しっかりと統計立ててされるのだろうと想像できるくらい、恐らく今までとは全く違った質の欲望が身体の外、社会の中に渦巻きだしているのだろうと思わずにいられない。

そんな時代に自分を見失わずに生きるには、欲望としっかり向き合い、退屈とうまく付き合って日常を生きるしかほかにない。

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■目次
序章 ソーシャルメディアへの違和感
・不思議な「新型うつ」
・「本音を隠さなくなった人たち」のうつ病?
・「つながり」がはらむカン違い
・不自由なツイッター
・東日本大震災とSNS

1章 「SNS疲れ」という新たなストレス
・「スケスケ下着」に「分娩台」なう」
・SNSでぜんそくの発作が! ?
・心のエネルギーの大量消費
・24時間自分をさらけ出し続ける、『トゥルーマン・ショー』の世界
・「出会い系」のサクラは男!
・会えないほど、純愛度数が高まる法則
・出会い系の驚愕のシステム
・増加する「ネタ消費」
・木嶋佳苗に見る「ウソ」と「盛る」の境目

2章 ネットで人はなぜ傷つけあうのか
(1)非抑制性と匿名性という“魔法"
・広島LINE殺人事件
・「社会的手がかり」の伝わりにくさ
・なぜ「ネット世論」は極端に走るのか
・サイバーカスケードでよく起こる二者択一
(2)自分で自分をだます人たち――ネット多重人格の出現とひとり歩き
・「女装の精神科医」の顛末
・大阪の「子ども放置」事件
・ネットのなかの「こうであってほしいもうひとつの現実」
・ブログに書いた内容に、自分でも心あたりがない
・ネットで「悪意」が解放される理由

3章 ネトウヨが生まれる理由
・「ネットde真実」の女性たち
・何をもって「真実」を判断するのか?
・『アンネの日記』破損事件についてのネトウヨの反応
・「陰謀論」の生成プロセス
・陰謀論に陥った家族を救う方法
・「大きな物語」が終わったがゆえの「自分さがし」
・グローバル化と「新型うつ」の関係
・東日本大震災が復活させた「大きな物語」
・安倍総理の頭のなか

4章 SNSとプチ正義感
・「ゆがんだ平等主義」と「いびつな正義感」
・わかりやすく、攻撃しやすいものに向けられる怒り
・正当な抗議とクレーマーの境目
・「過剰な道徳」をめぐるふたつの問題
・他人に対してだけ道徳的な人たち
・ネット空間を逃げ出した「リベラル知識人」たち
・浅田彰氏のSNS論
・ニューアカの旗手たちに「見捨てられる」不安
・ネトウヨ暴走の責任は誰にあるか

5章 ネット・スマホ依存という病
・「ネット依存」が引き起こす事件
・治療が必要な「ネット依存」の基準
・依存を狙う、「餌付け」ビジネスモデル
・依存症治療に効果がある「動機づけ面接」

6章 SNSは日本人をどう変えるか?
・「自分らしさ」の虚しい内実
・「実は自由ではないのに自由に見せる」ことほど疲れる
・JR九州・新幹線CMのどこが「日本的」なのか?
・「感動した」の広がり方は、まるで感染症
・「いいね! 」によって、何が失われていくのか
・文章だけでなく、思考もスカスカになっていく
・「文字なしの画像」の世界
・画像は文字のおかわりになるのか?
・バイトテロ問題――悪事5分拡散の法則
・ネタ作りのために“放火"する
・「画像で自分を伝える」ことの危うさ
・主流になりつつある「一か八か型コミュニケーション」

終章 SNSがつくる「1・2の関係」の世界
・「携帯電話がなかった時代」は文化人類学の研究対象! ?
・小此木氏が予見した「1・5」の関係
・電話してくるのは困った人
・限りなく自分だけの「1・2」の関係へ
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2015年10月11日日曜日

H27 2015 一級建築士製図試験 「市街地に建つデイサービス付き高齢者向け集合住宅」

建築家として日々実務に追われていると、どうしても目の前の仕事だけに視界を覆われてしまい、日常手がけている内容の範囲にだけ頭を奪われ、その他の多くの分野に関して知識や技術を得ることなく過ぎてしまいがちになる。

そんな避けがたき日常にある楔を打つためにも、現在国がどの様な知識を求め、どのような新しい事象が浮かび上がってきているのか、それを知るためにも一年に一度、国家資格である一級建築士製図試験の出題問題と、その要求されている機能の内容、そして模範解答を見てみるのは、非常によい勉強になるものである。

という訳で今年は問題はというと、「市街地に建つデイサービス付き高齢者向け集合住宅」。超高齢化社会の現代日本において、これ以上は無いんじゃないかと言える現代の社会問題を内在した出題。

設計課題の内容を見てみると、今後はこのような高齢者向けの施設が、建物の中でも住宅と一体化したり、また郊外のひっそりとした場所に隔離されるような存在になるのではなく、街の中で包括していこうという、そんな大きな意図を感じ取ることができるようになっている。

機能室を見ていくと、デイサービスにおける機能訓練質や機械浴室など、家庭の中で介護が必要な家族がいる人には、馴染みとなっているスペースが高齢者な要介護者の動線を考慮して配置されている。この様な施設に対する要求は今後より一層増えていくことが容易に想像がつき、と同時に、これらのことを全く知らずに設計に関わることを避けるためにも、それらの求められる機能と、解答に見られる配置方法を見ながら、今後の日本の風景を想像することにする。

2015年10月8日木曜日

浅間神社(あさまじんじゃ) 甲斐国一宮 ★★


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所在地 山梨県笛吹市一宮町一宮
主祭神 木花開耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)
社格  式内社(名神大)論社,甲斐国一宮,旧国幣中社
本殿の様式 流造
別名   一宮浅間神社、一宮さん  
創建   (伝)垂仁天皇8年
機能   寺社
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かつてこの国に住んだ人々は、現代の様にクリック一つで多くの情報が得られるわけでもなく、その限られた情報と知識の中で、大地の力を現す山、そしてその中でも圧倒的な存在である富士山に対して畏れと崇敬の念を抱いたことは想像に難くない。

それが富士山を神格化し信仰へと昇華させ、富士山を神格化させた浅間大神(浅間神)とその浅間大神(浅間神)を神話に現れる木花開耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)と見立てて祀ったのがいわゆる浅間神社(せんげんじんじゃ、あさまじんじゃ)である。

「せんげん」や「あさま」と場所によって違うその呼び名であるが、ホームページによるとここでは浅間神社(あさまじんじゃ)が正しいようである。


甲斐国(かいのくに)の一宮。その住所「山梨県笛吹市一宮町一宮」が示すように、ここがかつてこの国の一丁目一番地だったことが見てとれる。その為にこの神社も通称として「一宮浅間神社」や「一宮さん」と呼ばれ、他の浅間神社と差異化を図られているようである。

そんな訳で、この富士山周辺には「浅間神社」と名のつく神社が多くあり、それぞれに何かしらその土地の特徴を示す名称を付加することで他との区別をしようとしており、その為に始めていく際には少々混乱を起こすことになる。

と言う訳で、一日かけて甲斐国と駿府国を回る予定の一番最初の目的地として相応しいだろうと選んだのがこの浅間神社(あさまじんじゃ)。心地よい秋晴れの空の下、収穫を終えた田園の中にこんもりと茂る森が目印の様にして「ここが一宮ですよ」と言うかのように目的を示してくれる。

かつての繁栄振りはうかがえないが、一宮として現代まで受け継がれるその品位は、整った風景から少なくとも感じ取ることができる。鳥居を抜けて朝一番の手水で身体を清め、境内に向かっていくと左を向いて社殿が鎮座する。これは「富士山の方向に意味があるのか?」とGoogle Mapをズームアウトしてみるが、富士山の方向は逆にこの参道の向きにぴったりあい、ここより南に位置していることが分かる。ということは太陽の昇る位置に向かって社殿を配置していることになり、「富士山と太陽の両方どりか・・・」と一人納得しながら参拝をすることに。

帰りの道すがら、側溝を流れる水の透明度を視界に捉え、水の美しさが整った風景の根源だと改めて納得して次の目的地へと車を向かわせる。










甲斐国 ★★

来年は大河ドラマ「真田丸」はこの甲斐国(かいのくに)を舞台に活躍した戦国武将・真田幸村を主役に描かれるために恐らく多くの人が現在の山梨県と重なるこの地を訪れることになるだろう。

別称を甲州(こうしゅう)とされ、東海道のほぼ真ん中に位置するこの甲斐国。国府、国分寺そして一宮のおかれた場所から現在の笛吹市がその行政的な中心地であったのがみて取れる。

多くの人がイメージするように、甲斐といえば「風林火山」の軍旗を用い、「甲斐の虎」と恐れられた戦国武将・武田信玄。急峻なその地形で鍛えられた騎馬軍団は他の武将を圧倒する武力を備えていたことでも良く知られる。

その父・武田信虎の時代に開創された甲府が城下町として整備され、政治的・経済的中心地として発展し、現在の山梨県の県庁所在地へとつながり、人口20万ほどのこの地域の中核都市として機能している。

日本地図の真ん中に位置する土地柄、東西の交通の要所として、その敷地内には江戸時代の五街道のうち東海道、中山道、甲州街道の三つが整備されており、その重要性がみてとっる。

特に五街道の中で一番最後、1772年に完成した甲州街道は、まさにこの甲斐を江戸と結ぶために整備された街道であり、下諏訪宿で中山道と合流し、京都まで繋がっていくことからも、江戸幕府にとって甲斐が重要な意味を持っていたことを現代に知らしめている。

近世まで日本の覇権を握るための重要な要として位置づけられてきたこの甲斐国が、現代という全く異なった交通および経済インフラによって塗り替えられた地政学の中で、どの様な風景を保っているのか、そして恐らくほかの土地に比べてより濃くかつての存在した風景の痕跡が残されているであろう様々な場所に期待を膨らませて「中央フリーウェイ」を聞きながら西へ向かうことにする。



2015年10月7日水曜日

コンサート 「ハンヌ・リントゥ指揮シベリウス生誕150年記念」 すみだトリフォニーホール 2015 ★★★

ハンヌ・リントゥ(Hannu Lintu)
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前半
交響曲第3番 ハ長調 Op. 52 (Symphonie Nr 3)
交響曲第4番 イ短調 Op. 63 (Symphonie Nr 4)

後半
交響曲第2番 ニ長調 Op. 43 (Symphonie Nr 2)
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音響設計の豊田さんに誘っていただき、すみだトリフォニーホールにて行われるコンサートに妻とそろって足を運ぶ。

今年はフィンランド出身の作曲家であるジャン・シベリウス(Jean Sibelius)の生誕150周年ということで、同じくフィンランド出身の指揮者であるハンヌ・リントゥ(Hannu Lintu)を招待して、シベリウスの作品を演奏するというもの。その初日に当たる今夜はリントゥが新日本フィルハーモニーを指揮するもの。

豊田さんのご友人の音楽通のご夫婦ともご一緒させていただき、「今夜はアルファ波にやられて寝てしまわないように気をつけよう・・・」と意識を集中して聞き入っていると、その名は良く聞いていたが、しっかりと曲を聴いていたなっただけで、「あれ、この曲知ってるな」というメロディが多く演奏され、非常に迫力のある前半。

幕間に豊田さんにつれていただき、ホール内のあちらこちらの席にいき、それぞれの場所での音響の効果とその原因、そして舞台への視線の状況など、設計に関わった、そしてその後も長い年月このホールに関わってきたプロフェッショナルの経験と言葉によって、非常に濃密な知識を教えていただいた。

演奏終了後、「挨拶に行きましょう」という豊田さんに連れられて、バックステージの指揮者の部屋へと伺い、昨日も一緒にお寿司を食べていたというリントゥに早速今日の演奏の感想を伝えている豊田さんの姿に、世界の一線で活躍し続ける理由を垣間見た気がする。

現在手がけているコンサート・ホールの話をし、いつかそこで演奏をしてもらい、それを鑑賞するのを楽しみにしていると挨拶をして、ホールを後にし、5人そろって近くの居酒屋へと場所を移し、これもコンサートに足を運ぶ大きな楽しみの一つである、時間を共有した人との感想の言い合いに花を咲かせながら、おいしいお酒を酌み交わすことにする。
ジャン・シベリウス(Jean Sibelius)

すみだトリフォニーホール 日建設計 1997 ★★


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所在地  東京都墨田区錦糸1-2-3
設計   日建設計
音響設計 永田音響設計
竣工   1997
機能   コンサートホール(大ホール:1,801席、小ホール:252席)
規模   地上9階・地下3階
敷地面積 18100 平方メートル
建築面積 3600 平方メートル
延床面積 20066 平方メートル
構造   SRC造(一部S造)
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コンサートホールを理解するにはやはりその場にて実際にコンサートを聴いて、音の聞こえ方を身体にて理解すること、そしてその体験を積み重ね、いろんなコンサートホールにて比較すること。それが身体の中に滓が溜まるかのように蓄積していく先に、身体の一部として熟成された経験というものが設計の下地となる。

そういう訳で今回の視察の目的地の一つであるのがこの「すみだトリフォニーホール」。錦糸町の駅から西に歩くとすぐにエレベーターに導かれた2階部分へあがるとそこがホールのエントランスとなっている。

駅近くの密集地で、しかも東西に長い敷地という条件の下、搬入口と公共エントランスを上下にて分かちつつ、どうしても奥行きを持ってしまうコンサート・ホールという平面計画の性質とどうすれば一番合理的な動線計画になるだろうかと苦悩した後が見受けられる。

その結果、公共エントランスをホールに対して正面からではなく、横からというかなりイレギュラーな方式を採用することによって、その他の様々な点がより合理的に解けたのだろうと推測する。

コンサート・ホールにとって重要な要素の一つはやはりその音響。その音響にとって天敵となるのは、外部からの騒音と振動。その観点から見るとこのすみだは横にJRの線路が走り、世界でもおそらく上位に入るであろう頻度で電車が行き来するコンサート・ホールとしては最悪の場所が敷地として選ばれている。

数分ごとに訪れる騒音と振動の波。それからホールをどう隔絶させるか?それでいながら、地上面から訪れる2000人に近い人々の波をどうスムーズにロビーからホールへと流すか。そしてオーケストラや様々な楽器が運び込まれる搬入口からバック・ステージの空間と動線をこの細長い敷地にてどう処理するか。そして、この細長い敷地においてほかにはそれほど選択肢が無く選ばれたであろうシュー・ボックス型のホール配置において、如何に各席の音響と舞台への視線を確保していくか。

そんな設計に関わった多くの人たちの苦難がひしひしと見て取れるホール。特に2階のサイドのテラス席にその陰が色濃く落ちているようである。

特徴的な細長いエントランスで友人を待っていたり、関係者と挨拶を交わす人々の姿を見ていると、もうすぐ20周年を迎えるこのホールも、しっかりとこの地で東京の音楽文化を支える一つの場として、すっかり人々に受け入れられており、使われ続けているのだとコンサート・ホールの作られた「その後」の姿に思いを馳せて建物を後にする。