2014年12月17日水曜日

ブルジュ・ハリファ Burj Khalifa SOM 2010 ★★★


現在のドバイと言って一番イメージされるのは、恐らくこの建物であろう。それがどれだけバカらしく、数年後、数十年後には必ず追い越されると分かっていても、人類の富の結晶として、また欲望の具象化として、バベルの塔以来人類と世界一高いタワーとの関係性は今も続いている。

そして現代においてその冠を頂くのがこのブルジュ・ハリファ(Burj Khalifa)。地上162階建、高さ818mという規模は既に建築物というよりも、垂直の土木スケールを持つプロジェクトであり、その周囲には政治的な匂いが待ち散らされている。

建築関係者にはブルジュ・ドバイ(Burj Dubai)として、長く野心的なプロジェクトだと認識されてきたが、建設中に巻き起こった経済危機の為に、豊かな石油マネーを保持するお隣の首長国であるアブダビに融資の頼まざるを得ざる、アラビア語で「タワー」を意味する「ブルジュ(Burj)(どうしてもその表記からバージと発音してしまいがちになるが・・・)」の 後ろにつくのが、この都市の名称では無く、アブダビの首長であったハリファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン (Khalīfa bin Zāyid Āl Nuhayyān) の名前がつき、現在のブルジュ・ハリファ(Burj Khalifa)となったと言うから、まさに政治の産物と言う訳である。

敷地は現在のドバイの中心地であるダウンタウンと呼ばれる地区のど真ん中。足元にはこれまた世界一の規模で有名なドバイ・モールが広がり、その前には毎晩壮大な水のショーが繰り広げられる池が広がる。

設計はこちらも建築の世界に身を投じているものなら誰でも知っているアメリカ・シカゴの大手設計組織であるSOM(スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリル)。主任建築家として名が挙がっているのがエイドリアン・スミスで、主任構造家として名が挙げられているのがウィリアム・F・ベーカーという。

そしてその建設には、残念ながら日本のゼネコンは名を連ねることができず、韓国のサムスン物産とベルギーおよび地元のUAEの建設会社のジョイント・ベンチャーとして行われたという。

平面系は三角形に伸びた花びらのような形をしており、それが上昇する度にそれぞれのウイングがセットバックしていく形を取っている。シカゴのシアーズ・タワーはグリッドによる9分割されたブロックが徐々にセットバックしていく形を取っていたが、21世紀になってよりオーガニックな形状へと進化したということだろう。

折角なので上に上り、世界最高、そして人類史上最高の眺めを体験しようとLAからやってきているアソシエイトの一人とタワーに向かう。その途中で気がつくが、街中を走るタクシーは全てトヨタ製。しかも普通のタクシーとは違い、高級タクシーとしてなんとレクサスのタクシーが待ちの彼方此方に見られる。なんとも贅沢な街だと思うとともに、この国でトヨタが見事にビジネスに入り込んだのだと実感しながら到着するのはタワーの下に入っているアルマーニ・ホテル。

1階から39階までは全てアルマーニ・ホテルが入っており、上の展望台に行くよりも、折角だからこのホテルのバーで一杯飲んで行こうと打ち合わせでもないのにジャケットを羽織ってきたが、残念ながら上のレストランに上がるにはドレスコードがあり、ジーンズは認められていないという。決まりならしょうがないとGFのラウンジなどを案内してもらい、「展望台にいくには、一度横のドバイ・モールに行って、そこからチケットを買って入らなければいけない」というので、外に出て殆ど鏡の様なステンレスの外装材を観察してモールへと移動する。

その際に、このドバイという街は石油が安いためか知らないが、車で点と点の移動が主流になっており、地面を歩くというような行為をする貧乏人はいないのか、それともあまりの暑さに外を歩ける環境に無いのか分からないが、とにかく歩行のための設計があまりにも酷いということに気がつく。

それぞれの高層ビルは点として設計され、そこには車でアクセスすることをメインとし、その間の歩行空間やランドスケープ、照明計画などは本当に目も当てられないものである。歩いてアルマーニ・ホテルからドバイモールまで行こうとすると、途中で歩道が無くなり、しょうがなく車道に出なければならなくなるが、後ろから車が来て冷や冷やしながら狭い歩道に戻ることになる。

そんな訳で、歩行者へのサイン計画もあったものでなく、どっちにいっていいのか不安になりながら所々で人に行き方を聞いては先に進むことになる。後にクライアントに聞くことになるのだが、やはり都市計画が上手く機能しておらず、計画局と開発の許可が上手くかみ合わず、コントロールしきれていないという。それにしても、国の歴史が40年、この都市が20年のうちに作り上げられたという、都市空間に対する知識と経験の浅さが都市のいたるところに見受けらられ、それと同時に如何に日本の都市空間が長い経験の上に作られているかが理解できる。

日常の都市生活を営む上で、歩行距離や信号の位置など、どれだけストレスを感じさせないか。そしてそのストレスを感じさせない相手が、車なのか歩行者なのか、それとも全ての人に対して公平に設計されているのか。そんなことを考慮されておらず、また考慮する気も無いという雰囲気が漂うこの街には、やはり長く住まうことは難しいだろうと思いながら坂を下る。

その途中、流石高級ホテルと言うだけあって、ズラリとならずレクサスの白のタクシーの姿を写真におさめ、歩くこと10分。やっとたどり着いたのはドバイモールへの入り口。こちらも完全に車で到着することを念頭においているためにか、歩行者は殆ど地下駐車場の入り口の脇から、車を避けるようにして内部に入る動線どなっている。とてもじゃないが、世界最大のモールと銘打つ高級商業施設の設計とは思えない空間である。

施設内に漂うなんともいえない香水の様な匂いに良いそうになりながら、分かりづらい案内を読み解きながらやっと到着するのが、ブルジュ・ハリファの展望台へと繋がる「At The Top」という施設。チケットカウンターで二人分を頼むと、なんと一人500AED(ディルハム)という。日本円にして16000円ほど・・・

「一生に一度の経験だから・・・」と連れのアソシエイトと自分達を言いくるめ、換金した現金をかき集めて支払うことにする。後で調べると、これは特別なチケットでディズニーランドのファストパスの様に、並ぶことも無く、しかも通常の展望台よりも上の特別展望台にいけるチケットだったようである。ちなみに通常のチケットは300AED。はっきりいって違いは殆ど無く、そちらのチケットで十分であろう。それにしてもそんな説明も無いとはなんとも上から目線の売り方だと思わずにいられない。


とにかく、その特別チケットを購入すると、脇の控え室に通され、非常に動作のゆっくりな民族衣装に身を包んだ現地民に説明を受けながら甘いコーヒーとお菓子を提供される。案内が終わると、そのガイドについて先に進んでいく。モールとタワーは地下で繋がっており、動く歩道を通りながら、ドバイの歴史やタワーの建設の様子などを見学する形になっている。それにしてもこのガイド、殆ど喋ることも無く、行く先々で知り合いにあっては抱き合って挨拶をしているだけで、「さすがはレンティア国家・・・。仕事への責任感が薄いな・・・」などと思いながら先に進む。

高速エレベーターで高層部に移動し、そこで一度エレベーターを乗り換え今度は少々小さいサイズのエレベーターで到着すると、ホテルのラウンジのような展望エリアに到着。ここでも何人ものスタッフが待ちうけ、お菓子や飲み物を提供してくれる。殆ど説明は無く、皆勝手に周囲の展望スペースから眼下に広がるドバイの風景を眺めることになる。

このドバイの構成は、海岸沿いに伸びるメインロードに沿って高層ビルが建ちならぶ非常にリニアな構成を取っている。だから海側から見ると一枚の壁の様な印象になる。なので一番高いこの展望台から見ると、西と東に壁が延びるようにして様々なデザインをまとった高層ビルが伸びている。

海側を見ると、有名な「ザ・ワールド」や、「パーム・アイランド」プロジェクトがうっすらと見えている。しかし中国でもそうであるが、砂漠の中に作られた都市だけあって、砂漠からの砂塵の影響か遠くはうっすらと視界が悪くなっているのが印象である。

屋外の展望スペースにでて、「ミッション・インポッシブル」でトム・クルーズが上ったこのタワーをシーンを思い出しながら、恐る恐る下の風景を見る。さすがに落下防止の為に、殆ど身体を外に出せない設計になっているが、それでも高さを感じるには十分な風景である。そしてこの屋外展望台は風を避けるためか海とは逆側に設置されているために、余計に街の外に広がる砂漠の風景が印象的である。

「これが人類史上一番高い場所からの風景か」と、感傷的になるようなものは無く、殆ど他の高層ビルから見る風景との違いは感じられない。それが歴史都市ではなく、新たに作り上げられた人工都市の虚しさであろうと想像しながら、展望台を後にする。

































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