2014年3月7日金曜日

人は忘れる

人は忘れる生き物である。

それは複雑な現象の中で生きていく現代人として自己防衛のための必要な手段でもある。しかし、一方では繰り返される映像を嵐のように浴びせてくるメディアによって、少し前のことを「すぐに忘れる」ように仕向けられているようにも思われる。

昨日まで、三重で起こった中学生殺害の容疑者として捕まった高校生のことについて熱を帯びていた報道が、今日には柏で起こった通り魔事件ばかりに重点を写し、昨日までの事件がまるでなかったかのように報道しない。

そして明日はまた違うものに重点をシフトしていくのだろう。

すぐに新しいものに、少しでも新しい刺激を視聴者に与えて、その見返りに視聴率を獲得する。メディアも競争社会である以上、生き残るためには、少しでも視聴者が求めるもの、つまりは新しい刺激を与え続けなければいけない宿命。

新聞やテレビといった鮮度を売りにするメディアでは、一度重点的に扱った事件であろうとも、それが何も解決していなくても鮮度が落ちたと判断したら、すでに扱う内容から外されていく。

ちょっと前に起こった大雪による断絶された地域の問題もそうである。本来は、その現象を報道するよりも、なぜそれが起こったしまったのか、何が問題なのか、どんな脆弱性を持ち、次にそれが起こらないためにはどのようなことを準備をすればいいのか、視聴者レベル、行政レベルで何を変えなければいけないのか。

そんなことを突き詰め、分析し、喚起し、提案していくのがメディアのある種の役割であることは間違いない。「一時あれほど騒いでいたのに、どうなったのだろう?」とふと思い出す事件はさまざまある。

餃子の王将
相模原の女児行方不明事件
広島少女遺棄事件
千葉・茂原「77日ぶり発見女子高生」
ゆうちゃん 遠隔操作
村人全員から虐められてた 山口県周南市集落放火殺人事件
京都府福知山市の花火大会
三鷹の女子高生殺害事件
尼崎の角田美代子 
尼崎の中学生男子監禁

「いったいどうしてそんなことが起こったしまったのか」と思いながらも、次から次へと押し寄せる鮮度の高い事件によって、記憶はどんどん棚の奥へとおしこめられ、次第に忘れ去られていく。本当に重要なのは、なぜそれが起こったかを知り、理解し、次に起こらないように気を付けること。

恐らく報道に携わる人間も、相当な葛藤を持って仕事に臨んでいるのだろうと想像する。本当に必要なのは、その真相をしっかりと最後まで視聴者に届けること。内容の薄い、新しいものだけを早く安く届けること、その繰り返しに対して恐らく思いを持ってこの世界に飛び込んだ人たちは相当な自己矛盾の時期を過ごしているのではないだろうか。

恐らく上司に、「いくら鮮度が落ちたといえども、社会的に考えたら重要な意味を持つ事件であるだけに、最後まで追い続け、世間に対して報道し続けるべきではないか?」などと押しかけても、「それでは会社の利益にならない。その取材を続ける経費は出せない」などと会社組織としての現実と、競争社会から抜け出すことができない現実を突き付けられ、次第にそのループに定着していくのではないだろうか。

いくら重要だと思っても、それに付きっ切りになることはできない。次から次へと起こる凶悪事件。世間の関心の高いほうへと人もエネルギーもシフトしていかねばならない。そうなるとどうしても「その後」を終えない。

「その後」

興味がある人が裁判などを追っていくしかなくなる。そうなるとほとんどの一般視聴者は事件があったことすら忘れられていく。本当に重要なのは、なぜその事件が起こってしまったのか、どうすれば防げたのかを理解すること。警察や行政だけでなく、一般の市民も次の犠牲者、次の加害者になるかもしれない現代。少しでも起こったことから教訓を学ぶこと。それが大切。

このような状況を考えると、ネットニュースのあり方としては、自分の興味を引くニュースがあれば、RSSとは違った形で、それを登録しておけば裁判の記録や、事件の背景を調べている記事などが定期的に更新されて調べられるようなメディアが表れていくのだろうと想像する。つまりは受動的にニュースを浴びるのではなく、あくまでも選択していくようなメディア時代。

人は忘れる。だからこそ、何を忘れるのかは自分で決めるべきであろう。

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