2014年3月29日土曜日

「郊外はこれからどうなる? - 東京住宅地開発秘話」 三浦展 2011 ★



縮小社会に入り、人口を失っていくこれからの日本。と同時に人類史上経験したことのない超高齢化社会に少子化社会が重なり、現役労働世代がとてつもない負担を強いられながら社会を変えていかなければいけない今後の30年。

江戸から東京へ、時代に沿って常に人口が流入し、都市が拡大してきた東京。江戸時代の大名屋敷を山の手へ。商人街を下町へと変換して作られた明治期の東京都市計画。新たに流入してきたものが、自分も少しでも良質な住空間をと目指したのが周辺地域。そこにビジネスが絡み、開発が始まる郊外地域。

そんな初期の郊外もいつの間にか山の手と下町的な内部格差が生まれ、そして飽和を迎える。そしてさらに外へ外へと押しやるスプロールの圧力。のっぺりと広がる郊外都市。それは人口が増加し、東京への流入圧力がある時代には避けられない事態であった。

しかし、その一つ目の前提が壊れようとしている。人口が増えない。しかし二つ目の前提はさらに加速するかのように人々を東京へと吸い寄せる。勝ち残る都市に自らの居場所を求めようとする若者の流れ。そしてすでに現役を退き、悠々自適な老後を送る高齢世代。

年代格差が叫ばれて久しいが、今後はさらにその様子が顕在化する時代において、人口が減って、さらに東京に集中的に人口が流入する時代において、では一体どこの街が人を失い、消滅していくのだろうかというて視点で見ていくと、必然的に郊外の一部分が消えていくことになる。

そんな流れを理解するために、今までの郊外化の流れを歴史を踏まえてみていくのがこの一冊。著者の今までの本を読んでいれば、あえてこの本を手にする必要もないかと思われる総括的な内容になっている。

そんな中、懐かしく思うのが、朱引(しゅびき)、墨引(すみびき)という江戸時代の行政区域に関する言葉。昔学生時代に、学校の授業で先生が口にしていたのを思い出す。

朱引(しゅびき)とは「大江戸」として認識されていた、江戸幕府が江戸の行政範囲を示すために示した地図上に惹かれた赤い線の内側の事。つまりここから内側は江戸ですよと明示するための線。

さらにその内側に引かれた墨の線。それが墨引(すみびき)。朱引の内側をすべて江戸幕府が納めるのはやや範囲が広すぎて、手間とお金がかかりすぎるというので、朱引よりも更に内側の、江戸城を中心としたより小さな環状域を町奉行所支配の範囲として示したのが黒い線で引かれた墨引という訳である。

そんな少々懐かしい思いをしながら、建築史の歴史の授業のような内容を読み進めていくことにする。

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第1章 第四山の手論
/東京の地形、山の手と下町
指先を右に向けて左手を置いたような形
世界中の都市の中で、東京ほど坂が多い都市はないそうです
山の手と下町がセット
本郷も坂を下ると湯島の歓楽街
麻布の高級住宅地もちょっと下れば麻布十番商店街

/第一山の手
最初の山の手の住宅地 本郷
標高にして20メートル この差が山の手と下町の地形の差
加賀百万石の前田家の屋敷
第一山の手

/第二山の手
現在の山手線の内側の西半分は完全に郊外だった
江戸の人口は約100万人
明治初期の人口は減少して60万人くらい
山手線が今のように環状運行するのは1925年
第二山の手
山のつく地名が多い
御殿山、池田山、代官山
洋館
沿線に住宅地 京王線 1916年 新宿追分ー府中
小田急線 1927年 新宿ー小田原
東急東横線 1927年 渋谷 -丸子多摩川
西武新宿線 1927年 高田馬場ー東村山
東武東上線 1914年 池袋ー田面沢
井の頭線 1933年 渋谷 -  井の頭公園

1903年 ロンドン郊外にレッチワース 田園都市
緑の豊富なところに住みたい
大正時代には人口が200万人を超える
渋沢栄一は1918年 田園都市株式会社 洗足、大岡山、田園調布
1923年に関東大震災

/第四山の手ゾーン
東急田園都市線沿線を中心とした郊外住宅地 第4山の手ゾーン
移動手段は徒歩 路面電車やバス
マイカー 電車

第2章 東京は増加する人口を吸収してきた
/江戸時代の東京
墨引、朱引と呼ばれる地域が江戸の範囲
墨引は町奉行の管轄範囲で、朱引は大体今の環状6号線くらいの地域
朱引で囲まれた内側が、徳川の管轄権

/東京は工業都市だった
JR南部背沿線も工業地帯
南部線沿線には、労働者の娯楽として、ソープランドや競馬場や競輪場がある

/第三山の手時代に住宅地はどこで建設されたか?
三井信託、三菱信託、東京信託などの信託会社が住宅地を開発

/流入したひとのほどんとが若者だった
若者が一番ほしいものは「独りになれる部屋」

/郊外へ
大都市に流入した若い人々のニーズ 1955年 には日本住宅公団が誕生
抽選で当たった人が住める
高島平団地への入居 1972年
30代後半になって子供が成長して団地が手狭になると、郊外に一戸建てを買いました

/バブル期、どこにどんな名前のマンションが建てられたか?
吉祥寺駅前の築5年の70平米のマンションが1億2000万円
バブル時代はひどい時代
土地持ちはますます豊かになり、一般庶民はものすごい住宅ローンを背負ったのです。しかもその住宅が今は資産デフレになっている。

第3章 山の手の条件
/山の手と下町の格差
戦前の東京の3大貧民街 下谷万年町(上の駅東側)、芝新網町(浜松町駅西側)、四谷鮫河橋(四ツ谷駅南側)
かつて山の手の住民ではなかった人も中流化によって山の手に住むことができるようになった
山の手の中にも格差 中央線の荻窪は将官の町、阿佐ヶ谷は佐官の町、高円寺は尉官の町、荻窪には、近衛文麿の家
親の学歴はそんなに高くないが、子供の学歴はもっと高くしたいと考えている人が多い地域

/西側だけでなく東側でも郊外化が進んだ
今橋映子先生「都市と郊外」
モンマルトルというと高級住宅地 20世紀の初頭までは娼婦の街でした


第4章 郊外の文化論
/なぜ郊外の文化論に着手したか
写真家の藤原新也さん「東京漂流」の続編「乳の海」
金属バット両親殺害事件
キリンビールなどと並ぶ三菱グループの優良企業旭硝子の部長
戦後日本人の欲望の行方についての研究

/アメリカの影響、団塊世代との関係
イギリスの田園都市レッチワース
セントフランシスウッド

/レヴィットタウンとは
アメリカの郊外住宅地レヴィットタウン
ひたすら同じ家が並んでいる
特別なローン
月2万円で家がかえた
当時の多くのアメリカの知識人は「これはひどい住宅地だ」と感じました

/データで見るアメリカの豊かさ
約20年遅れで日本はアメリカを追いかけてきた


第5章 郊外の歴史と問題
/レッチワース
郊外の原型
イギリスで1903年 レッチワースという田園都市
エベネザー・ハワード「明日の田園都市」
中心市街地の周りに住宅地

/色々な人がいるのが本当の田園都市
中世の村に、いろいろな人々がまじりあって生活していることの素晴らしさ
都市の重要な特徴の一つが、多様な人々がまじりあってすみ、働いていること

/アメリカの郊外はどのようにして生まれたか?
アメリカはプロテスタントの国
プロテスタントは、非常に敬虔なキリスト教徒
家族の重視
イギリスの造園論 
フレデリック・ロー・オルムステッド シカゴ郊外にリヴァーサイド
ラドバーンの設計者であるクラレンス・スタイン

/ラドバーンはどんなまちか?
1906年 アメリカ田園都市協会
フォレストヒルズ 近隣住区論 クラレンス・ペリー
小学校の学区を単位に住宅地をつくる
戦後の日本のニュータウン、新興住宅地はみなこの思想で作られています
サニーサイドガーデン 都市批評家のルイス・マンフォード
1929年 ラドバーン
歩車分離
景観規制
クラレンス・スタインとヘンリーライト
公園緑地を最低でも敷地全体の10%用意、商業地は住宅地から歩いて行ける範囲に作る
街路は住宅地の中を通り抜けるのではなく、取り囲むように配置する
横浜市にある住宅地、緑園都市はラドバーンと姉妹都市

/郊外の問題点① ジェンダー分離
男性は都心で働いて、女性は家で家事をするというジェンダー分離
女性は専業主婦になる ジェンダー分離が助長

/郊外の問題点② 若者の反抗、黒人の排除、環境の悪化
若者が抑圧感を感じる
人種問題、黒人排除
戸外に白人だけが住むことを「ホワイトフライト」white flight
環境問題
レイチェル・カーソン「沈黙の春」

/ニューアーバニズム
新しい住宅地計画思想であるニューアーバニズム
「次世代のアメリカの都市づくり」
ヴィレッジホームズ
すべての家が南面配置

/コミュニケーションのデザイン
フロリダにつくったシーサイド
「トゥルーマン・ショー」

/マウンテンヴュー 商店街の活性化には何が必要か?
商店街
吉祥寺が魅力的なのは、人がたまる場所がいっぱいあるから


第6章 郊外の未来
/花咲く郊外へ
椿峰ニュータウン

あとがき
/郊外研究のためのブックガイド
・郊外住宅氏の歴史
山口廣編「郊外住宅地の系譜」
「近代日本の郊外住宅地」
内田青蔵「同潤会に学べ」
佐藤滋「集合住宅団地の変遷」
越沢明「東京の都市計画」
「郊外と現代社会」
「家族と郊外の社会学」
E・ハワード「明日の田園都市」
東秀紀「明日の田園都市への誘い」

・東京論の基本
陣内秀信「東京」
「東京都の百年」
川添登「東京の原風景」
樋口忠彦『郊外の風景」

・日本の公害の問題
藤原新也「東京漂流」
山本理顕「住居論」

・アメリカ郊外の歴史
・アメリカ郊外の問題について
ジェイコブス「アメリカ大都市の死と生」
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目次
はじめにーなぜこの本を書くことにしたか。
『東京から考えるー格差・郊外・ナショナリズム』
『郊外の社会学』
『段階の時代』
『「東京」の侵略』

第1章 第四山の手論
/『「東京」の侵略』
『「東京」の侵略』のメインテーマは「第四山の手論」
/東京の地形、山の手と下町
指先を右に向けて左手を置いたような形
世界中の都市の中で、東京ほど坂が多い都市は無いそうです。丘や谷が多い。
山の手と下町がセット
本郷も、坂を下りると湯島の歓楽街。
麻布の高級住宅地も、ちょっとくだれば麻布十番商店街。

/第一山の手
最初の山の手の住宅地
本郷

/第二山の手
/第三山の手
/第四山の手ゾーン
/新コンセプト誕生まで
/第四山の手論はパルコの増田通二氏の個人的体験から生まれた
/第四山の手論が現実になった瞬間

第2章 東京は増加する人口を吸収してきた
/江戸時代の東京
/明治期 鉄道の発展と共に東京が発展した
/海外の都市の人口との比較
/昭和の「大東京」時代
/東京は工業都市だった
/第三山の手時代に住宅地はどこで建設されたか?
/1873年の日本の利別人口ランキングの上位5都市はどこ?
/流入したひとのほどんとが若者だった
/郊外へ
/バブル期、人口はどの地域で増えたのか
/バブル期、どこにどんな名前のマンションが建てられたか?
/横浜対川崎。たまプラーザ対豊洲
/都心の人口の推移

第3章 山の手の条件
/山の手と下町の格差
/山の手と下町の関係も変化した
/東側の発展
/西側だけでなく東側でも郊外化が進んだ
/第五山の手はあるのか?

第4章 郊外の文化論
/なぜ郊外の文化論に着手したか
/アメリカの影響、団塊世代との関係
/ジャパニーズWASP
/『Populuxe』との出会い
/レヴィットタウンとは
/なぜレヴィットタウンが必要だったか
/アメリカの豊かさが日本人の憧れだった
/当時の大衆文化とは
/データで見るアメリカの豊かさ
/ニューヨーク万博と郊外化
/専業主婦はアメリカの兵器だった

第5章 郊外の歴史と問題
/レッチワース
/色々な人がいるのが本当の田園都市
/アメリカの郊外はどのようにして生まれたか?
/減点は、イギリスのバーケンヘッドパーク
/ラドバーンはどんなまちか?
/郊外の問題点① ジェンダー分離
/郊外の問題点② 若者の反抗、黒人の排除、環境の悪化
/ニューアーバニズム
/コミュニケーションのデザイン
/マウンテンヴュー 商店街の活性化には何が必要か?
/子供を育てる「街育」

第6章 郊外の未来
/暗いシナリオばかりだが
/それでも郊外に住みたいか?
/子育てしやすい場所に人が集まる
/オールドタウンは実は健全な町
/空き家、空き地の活用をして本来の田園都市へ
/タテのつながりとヨコのつながり
/花咲く郊外へ

あとがき
/郊外研究のためのブックガイド


ストレスフリーな時間の長さ

朝起きると、首の後ろに違和感を感じる。

「またか・・・」と思うこの症状。椎間板ヘルニアの兆候ではないか・・・と焦りながらかかり付けの病院へアポを取る。

30代も後半に差し掛かり、それなりに忙しい日々を過ごしていれば、誰だって定期的に健康を害する生活となる。

片頭痛や腹痛、下痢、胃腸炎に節々の痛み。まぶたがピクピクとする顔面神経症。目を閉じてもまぶたの後ろでピカピカと点滅するような貧血の症状。

それらは過労や、長時間のパソコンワーク。仕事や家庭のストレス。片付けなければならない仕事の量。やり取りしなければいけない人々との関係などなど。

そんなストレスや病気の原因は身体を壊したからといって消えてくれる訳ではなく、かえって圧力を増してのしかかってくる。できるのは頭を使ったそれぞれに適当な対処を行い、一つ一つ原因を消していく、つまり処理していくしかない。

そう考えると、一年の中で本当に心身ともに健康で、ストレスを感じていない時間というのはどれくらいあるかと真剣に考えると、恐らく数週間というくらいになるのだろうと想像する。

2014年3月28日金曜日

どうせなら

建築なんていくものはやたらと時間がかかるものである。

大きなプロジェクトであれば、開始から竣工まで数年。下手すれば10年スパンのプロジェクトすらある。

そして残念ながら人生は一度しかないし、与えられた時間にも限りがある。

なので、建築家としてあれもこれもとやることはできない。そして建築家の日常というのは、どんなプロジェクトに関わるとしても、どっちみちとてつもなく忙しない時間を過ごし、日常に忙殺されることになるものである。

なのでどうせやるなら、一度しか選べない建築家としての一生であるならば、とてつもなく自分が美しいとか、かっこいいと思えるものを作るために時間を費やしたいと思う。

あーだこーだと理論武装して生きるよりは、自分がもし一人の建築好きとして、その建築を見に行ってみたいと思えるようなもの、その空間に感動を覚えるだろうと思えるもの。世の中の誰かが、建築は素晴らしいと思えるようなものを作るために貴重な時間を費やしたいと思わずにいられない。

どっちにせよ、ストレスに苛まれ、健康を犠牲にし、家族との時間を代償にして向き合う仕事であるならば、何を言われようとも、距離を置いた時にでも自分がそれに魅了されると思われるようなプロジェクトに関わる方がよっぽどいい。

プロフェッショナルの言葉

自分は何気なく発言した言葉でも、ある専門職についているという理由から、周囲の人に思わぬ影響を与えてしまうことがある。本人は軽い冗談で発したことが、受け取る側にとってみればかなり重い意味を持って心に残ってしまうことがある。

例えば医者をしている人間が、肩の痛みに悩む友人に、症状を聞き、考えられる可能性を説明し、どうすれば改善されるかのアドバイスをする。そんな簡単なことだが、原因と対策がはっきりとした友人にとっては日常を覆っていた靄を振り払ってくれる大きな助けになることだろう。

こうした良い影響を与えるプロフェッショナルの言葉もあれば、当然ながら悪い影響を与えてしまうものもある。

例えば、建築家が友人の家を訪れて、壁などをコンコン叩きながら家を周り、意味深に「なるほど、今はいいけどね・・・」なんて言ったらその家の主人は気になってたまらない。それでも、「いや、気にしないで」と返された日にはその後数日はかなりのストレスのもとで生活することになる。

問題があるのかどうか、何が問題なのか、その問題はどれくらいの大きさなのか。専門外の人であればあるほど、専門家の言葉の意味は大きくなってしまうものである。

そのことをしっかりと理解して日常を過ごすこともプロフェッショナルとしての責任であろう。

蓄積

次から次へと押し寄せる日常の忙しなさの中で時間を過ごしていると、ついつい近視眼的になってしまい、自分がどの方向に向かっているのか、また今の時間が成長につながっているのかすら見落としがちになってしまう。

そんな時に昨年のこの時期に、何に対して悩み、どんなことを思っていて、何を書き綴っていたのかを見返すことは、そこから現在までに歩んだ道のりを再確認し、そしてその距離の大きさを振り替えさせてくれる。

ただただ、日常の困難をなんとか局所的に解決しようと過ごしていても、その緊張感のある時間、常に今まで向き合ったことのない新しい困難に立ち向かっている時間の積み重ねは、やはり一年も過ぎるとかなり大きな蓄積になっているようである。

現在から振り返ってみる昨年の今の自分。打合せや、プロジェクトの打合せ、社外のコンサルタントやクライアントの接し方、他のパートナーとのやり取り、チームごとのリーダーシップ等々、どれだけできること、やれることが増えているかを改めて感じることになる。

日々の筋トレがすぐに見える形の結果として見えてこないように、このような経験という蓄積は、見えずらいだけに、気が付いた時には大きな差となってしまう。一日の少しの気のゆるみが、一年では大きな距離となるように、来年の今頃、今日の日からの成長に少なくない満足を感じられるようにとまた厳しい時間を過ごしていくことにする。

2014年3月27日木曜日

風俗エコノミー

先日のクローズアップ現代ではないが、恐らく日本ほど街中にこれほど溢れるように風俗産業が見かけられる国はほかにないのではと思ってしまう。

一大産業として、職環境、流通、広告、人材などが完全に確立され、そこに関わる人の数、そしてその産業全体の規模から考えて、確実にこの国の経済の少なくない部分を担っているという事実にはふと驚かされることになる。

日本中どこに行っても見かけることができる町中に溢れるキャバクラの広告と呼び込みの姿。そのお店の数だけいるそこで働くキャバクラ嬢。同じように毎月新作が発売されるAV業界。一体どれだけ敷居が低くなったのかと思わずにいられないその出演女優の数。

そのほかにも、ファッションヘルスやデリバリーヘルスなどの性風俗から夜の街のクラブなども含めると、いったいどれくらいの女性がこの業界に関わっているのかと想像する。専業でなく、昼間は別の仕事をして夜だけバイトで働くなどの形も含めると、恐らくものすごい数になるのだろう。

そして産業を成り立たせるために従事している人、直接間接合わせその周辺で仕事に関係する人まで含めたら相当な数に上ることは間違いない。そこまで含めると風俗エコノミーで生活を支えている人は恐らく数十万から下手をすれば数百万人に上るであろう。

そして世の様々な場所で同じような会話が交わされているように、自分の周囲には風俗エコノミーに従事する人には出会わない。ということは、社会のある一定の層にかなり固まっているということであり、その層では相当に高い確率で風俗産業に関与している人がいるということであろう。

女性が風俗産業に足を踏み入れる一番大きな理由はやはり短期間で高収入を望めるということだろうが、他の産業に比べ確かに労働時間に対しての対価としては非常に高いもとになっているのは間違いない。となると産業全体としてどれだけのお金が動き、それが女性とお店にどのように分配され、さらにその後ろの大きな組織にどのように流れていくのかと想像をめぐらせずにはいられない。

ネットで簡単に調べてみても、やはりその全体像はなかなか掴みづらいようであり、結局はどの産業でもあるような後ろで手を引く搾取構造があるのは違いない。

あの業界の市場規模っていくら?

風俗産業と経済

「AVって数多過ぎないじゃない!?」という言葉が気になり調べてみたところ、ある面白い統計が…

そう考えると、ある種この産業があることが日本の経済にとっては通常であり、恐らくそんなことはないであろうが、万が一産業自体がなくなった場合は一体どれだけの人が職を失い、路頭に迷うことになるかと考えると恐ろしい。

そうなると、どれだけ健全に産業として働く環境を整えられるかという前向きな動きも様々なところで出てきているようであり、

ホワイトハンズ

風俗の安全化と活性化のための私案――セックスワーク・サミット2013 要友紀子 - SYNODOS JOURNAL(シノドス・ジャーナル)

性風俗という職 働く若い女性に聞く

なかなか難しいと思うがこの風俗エコノミーが日本経済の中でどのような位置づけを占め、そして産業内部がどのような構造になっているのか、そして産業としてどんな健全化が図れるのか、そんな突っ込んだ特集をぜひともクローズアップ現代に期待したいと思わずにいられない。

誰かを責めるよりは

「建築」を生業にしていても、その仕事内容は非常にマチマチである。ある建築家は個人住宅だけを設計し、またある建築家はリノベーションなどの改修物件ばかりを手掛ける。またある建築家はマーケティングが幅を利かせる効率重視の商業施設を専門とし、またある人は街のイメージとなるような文化施設を手掛けたりする。

さらにその中でも、例えば個人住宅と言えども、億を超えるような予算を与えられ、減額設計に頭を悩ませなくてもよい経済的に恵まれた施主の物件ばかりを手掛ける事務所もあれば、ぎりぎりの予算だけどもなんとか少しでも広く、少しでも機能的なものをと一生に一度の大きな買い物に必死になって建築家を頼りにする家族のための住宅もあるだろう。

人は誰でも自分を肯定しなければ生きていけない生き物である以上、建築家もまた現在、自分がおかれた立場、向き合っている仕事内容を肯定していかなければやっていけない職業である。

建築を学び始めた学生時代。手にした雑誌で目にする世界の建築。新しい建築の可能性に挑戦するプロジェクトから、繊細な素材の使い方とディテールで緊張感のある空間を作り出すプロジェクト。周囲の自然環境の中に溶け込むような心地よい空間から、毎日の日常を楽しい舞台に変えてくれるようなプロジェクトまで。

そんな建築の可能性に惹かれ費やした青春時代。その過程で徐々に理解する建築世界の現実。そしてその幅の広さ。建築の世界で生きていくのが如何に厳しいことかを理解し、果てることのない激しい競争社会の中で設計を糧にして生きていくことの厳しさを感じていきながら、徐々に望むこととできることの着地点を自分の中で見つけていく。

自分がやっていることが、自分がやりたかったことではなくても、それでも建築という世界の中で、設計という枠組みの中で、それでも専門家として誇りを持ちながら、プライドを保ちながら、これなら負けないという自分の武器を磨きながら日常を生きることになる。

しかし、情報のあふれる現代社会。誰もが自己アピールに多くの時間を費やさなければいけない社会の中で、ふと目にするSNSやDezeenなどの建築系ニュースサイトでは、どこかの事務所の新しい作品が、如何にも派手にページを飾っているのを見かけることになる。

自分が行っている日常に、心の底で納得していなければいないほど、そういうものを見てしまうとついつい何かを言いたくなるのが人の性。

僻む、嫉妬、妬み、羨み、侮辱、蔑み。様々な形をとって現われてくる自らの心の形。「あそこの事務所は建築の本質ではなく、コマーシャルな金儲けの為のプロジェクトばかりやって・・・」、「あそこは派手な事ばかり目指して建築をやっていない」、「形ばかりを追い求め、建築の事を分かっていない。ディテールさえかけない」などなど。

それが、自らの心の鏡であり、自らの置かれた状況への写し絵であることを理解し、そして同時にそれがどれだけ醜いものかも分かるほどの社会的認識力はあるからこそ、直接的な表現は避け、「自分は分かっています」と言わんばかりの意味深な表現が横行する。

信念を持って設計活動に向かう建築家という職業。自分の信念の肯定は、程度の差こそあれ、他人のものの否定につながるのは当然のこと。それならば、堂々と批判してやればいい。ドーナツ化現象のように、一部の上げ足をとるようなことでなく、堂々と土俵に上がって「あの建築のどこがダメだ」と言ってやればいいと思う。

どんなに賢くとも、その人が設計したものが素晴らしいとは限らないのが建築の魅力でもある訳で、だからこそ建築家が多くを語らなくともその作品が雄弁にその魅力を語ることは多くある。本来建築なんて言うものは、そういう直接的な体験であるはずで、そこに現れないものを言い訳がましく言説で賄おうとするのは潔さに欠ける行為であろう。

そんなことを考えていくと、やはり建築家ならば、好きな建築、嫌いな建築をはっきりとさせながらも、しっかりと自分が設計として携わる建築物事態がしっかりと物語を語れるような濃密な設計をするのが一番の表現方法なのだと改めて理解することになる。

プリツカー賞の行方

今年のプリツカー賞の受賞者が発表された。昨年に引き続き日本人の受賞。紙管の建築で知られる建築家・坂茂(ばんしげる)。ここ5年で3組目の日本人建築家の受賞のお蔭で建築に縁の無い人でも、ニュースなどでその言葉を耳にする機会が多くなったのかと思われるこのプリツカー賞。どんな賞かといえば、ハイアット・ホテルを運営するプリツカー一族が一年に一組の建築家を選び、ある作品にではなく、その建築家の今までの活動に対して授与される賞であり、建築界において一番名誉のある賞と言っても過言ではない。

それをよく表すのが、かつてニューヨーク・タイムズが「建築家にとってこの賞は、科学者や作家たちにとってのノーベル賞のようなものだ」と記事にしたことより、建築界のノーベル賞として広く認知されるようになった賞である。

ある1作品にではなく、その建築家の長年に渡っての功績に対して与えられる賞であるので、ポッと一つ世に知られるような建物をつくり、あとは商業建築でバンバン設けているような建築家や、大学で安定した地位を確保しながら少ない作品を発表しているような建築家には決して手が届かない賞であり、激しい競争世界の中で、常にクリエイティビティを持ちつつ、そして新しい価値を建築の世界に寄与した建築家のみが手にすることができる、建築を志す者なら誰でも一度は夢見る賞であろう。

今までの受賞者を見ていくと

1979年 フィリップ・ジョンソン (1906–2005) アメリカ合衆国
1980年 ルイス・バラガン (1902–1988) メキシコ
1981年 ジェームス・スターリング (1924–1992) イギリス
1982年 ケヴィン・ローチ アイルランド /  アメリカ合衆国
1983年 イオ・ミン・ペイ アメリカ合衆国
1984年 リチャード・マイヤー アメリカ合衆国
1985年 ハンス・ホライン (1934–2014) オーストリア
1986年 ゴットフリート・ベーム ドイツ
1987年 丹下健三 (1913–2005) 日本
1988年 ゴードン・バンシャフト (1909–1990) アメリカ合衆国
       オスカー・ニーマイヤー(1907–2012) ブラジル
1989年 フランク・ゲーリー カナダ /  アメリカ合衆国
1990年 アルド・ロッシ (1931–1997) イタリア
1991年 ロバート・ヴェンチューリ アメリカ合衆国
1992年 アルヴァロ・シザ ポルトガル
1993年 槇文彦 日本
1994年 クリスチャン・ド・ポルザンパルク フランス
1995年 安藤忠雄 日本
1996年 ホセ・ラファエル・モネオ スペイン
1997年 スヴェレ・フェーン (1924–2009) ノルウェー
1998年 レンゾ・ピアノ イタリア
1999年 ノーマン・フォスター イギリス
2000年 レム・コールハース オランダ
2001年 ヘルツォーク&ド・ムーロン スイス
2002年 グレン・マーカット オーストラリア
2003年 ヨーン・ウツソン (1918–2008) デンマーク
2004年 ザハ・ハディッド イラク /  イギリス
2005年 トム・メイン アメリカ合衆国
2006年 パウロ・メンデス・ダ・ロシャ ブラジル
2007年 リチャード・ロジャース イギリス
2008年 ジャン・ヌーヴェル フランス
2009年 ピーター・ズントー スイス
2010年 妹島和世、西沢立衛 (SANAA) 日本
2011年 エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ ポルトガル
2012年 王澍 中国
2013年 伊東豊雄 日本
2014年 坂茂 日本

まさに現代建築史そのものである。毎年発表前の時期になると、世界中の建築事務所で「今年は誰だ」というような会話が交わされ、我が事務所でも、「今年こそはスティーブン・ホールだろう」とか、「いやいや、コープ・ヒンメルブラウじゃないか」とか、「スノヘッタ(snohetta)もあり得る」なんて会話をしていたところである。

ザハ・ハディド事務所に在籍していた当時に、ちょうどザハがこの賞を受賞し、事務所内部でもかなりお祝いモードが盛り上がり、取材に来たBBCの「女性として初めての受賞になるが、それについてどう思うか?」という質問に、「男になったことがないから分からない」とばっさり返答したザハの姿に「さすが、ザハ・・・」と事務所内がざわついていたのをよく覚えている。

ベニス・ビエンナーレとともに建築界における季節の風物詩となっているこのプリツカー賞。忙しい日常業務に追われる中で、ふと「ああ、今の建築界はそのような流れになっているのか」と狭まりやすい視野を広げてくれる時期でもある。

さて、原則一年に一組というかなり厳しいその選定のために、現在のところ受賞者は世界で37組のみ。その中で日本人建築家は6組。一番多いアメリカの8組に次ぐ受賞率である。そして最近の立て続けの受賞を見ると、現在の建築界において如何に日本の建築界が重要な位置を担っているのかが見て取れる。

丹下健三槇文彦安藤忠雄SANAA伊東豊雄、坂茂。共通しているのは、日本的な独特な建築空間を独自の建築言語によって世界レベルまで昇華させ、そしてそれを武器に世界の様々なところで新しい建築を作り上げているという点。如何に優れた能力を持った建築家でも、日本国内のみで活躍している人は受賞者として取り上げられるまでには至っていない。

ズントー、ソウト・デ・モウラ、王澍など、グローバル化した世界のなかで独特な価値観を生み出す新しいヴァナキュラーな建築家と、日本的な空間を追い求めつつも世界で活躍する建築家が交互に受賞するこの数年の流れを見てみると、グローバル化した世界の中で建築界が新しい価値を模索する姿が見て取れる。

さて今年の受賞である1957年生まれの坂茂(ばんしげる)。日本の建築家の中で、日本人でありながらも、インターナショナルな建築家としての位置づけの建築家である。とういのも、高校卒業後日本の大学で建築を学ぶのではなく、アメリカに渡り、南カリフォルニア建築大学、ニューヨークのクーパー・ユニオンという建築界でも有名な大学で建築を学び、在学中に磯崎新アトリエに在籍するが、大学卒業とともに自らの設計事務所を立ち上げて精力的に設計活動を続けていく。

代名詞とも言える「紙(紙管)の建築」。どこでも手に入り、輸送も容易で、施工も専門技術を必要としないということから考え出された紙を建材として使うアイデア。既存のものを如何に専門的に処理していくかを学ぶ日本の大学とは違い、如何に新しい価値や利用方法を発見し、それを現実に落とし込んでいくかという想像と実行を鍛錬する海外の先進建築教育がそのキャリアの土台になっている建築家らしい、素材へのアプローチ。

そしてその「紙」という素材がもたらす入手容易性、施工容易性は、短期間に建築を作り出すことを可能にする。その為に、震災や難民など、非常事態において人が住まう場所をできるだけ短期間にかつ効率的に作り出すことが可能になるのではということから、自ら震災後すぐに被災地に駆けつけ、自分でできることを模索し、自分たちの作り出した建築が少しでも社会のためになるようにと実行する。その被災地との関係性。

この二つは結局は「マイノリティ、弱者のために建築が何をできるか?」という問いから発生しており、それが建築家の活動のモチベーションとなっている。

現在では日本、アメリカ、ヨーロッパに事務所を構え、「紙の家」という個人住宅のような作品から、「ポンピドゥー・センター・メス」という世界的に注目をあびる公共建築まで、とにかく幅広く、そして大量の建築を手掛ける。

その作品を見てみると、

1995 カーテンウォールの家 
1997 壁のない家 
1997 羽根木の森 
1998 アイビー・ストラクチュアの家 
1999 ねむの木美術館 
2000 木製耐火被覆ー01 ジーシー大阪営業所ビル 
2000 家具の家 
2001 網代構造NO.2 
2001 はだかの家 
2002 紙の資料館 特種製紙総合技術研究所 Pam 
2003 PLYWOOD STRUCTUREー03 
2003 ガラスシャッターのスタジオ 
2003 写真家のシャッター・ハウス 
2004 ブルゴーニュ運河資料館・ボートハウス 
2004〜 ノマディック美術館 
2005 紙の仮設スタジオ- PTS 
2006 成蹊大学情報図書館 
2007 ニコラス・G・ハイエックセンター 
2007 カトリックたかとり教会 
2010 ポンピドゥー・センター・メス 
2011 女川町3階建コンテナ仮設住宅 

海外といっても、分かりやすいヨーロッパの大都市での作品だけでなく、様々な国の様々な都市でプロジェクトを手掛けていることが特徴的であろう。建築という土地に根差すものであるだけに、プロジェクトがある場所に建築家はかならず足を運ばなければいけない。これだけのプロジェクトを世界各地で行い、しかも建築事務所としてデザインの方向性とクオリティを保つためには、相当なエネルギーと行動力が必要となってくるであろう。

兎にも角にも、今までとは少し違ったタイプの日本人建築家が世界的な受賞を無しえた今年。それが何かしら新しい風を日本の建築界にも運んでくれることを期待しながら、来年は一体どんな建築家にこの賞が与えられるのかを楽しみにしながらまた仕事に戻ることにする。

2014年3月26日水曜日

ハルビン・オペラハウス MAD Architects 2014



仕事のことを書くにはどうも近視眼的になってしまうので、できることなら避けたいのと思っているが、流石に少しは仕事の内容を紹介しておくことも、何かの役に立つのではと思わない訳でのないので紹介しておく。

現在共同主宰するMAD Architectsが設計を手掛けるプロジェクトの中で、最も重要な位置を占めるプロジェクトの一つにあたるのが、2014年、今年の末に竣工を予定している、中国北部黒竜江省の省都・ハルビン市の北部に建設中の、ハルビン・オペラハウス(Harbin Opera House)。

2010年の年初から始めたからすでにまる4年が経ち、5年という時間を持って竣工を迎える何とも息の長いプロジェクト。

オペラハウスという都市にとっても文化を支える大きな意味のある建築物なので、美術館や図書館の様に、どこの地方都市にも一つある、というようなタイポロジーではなく、その維持と運営を賄うだけの公演を行い、それに見合ったチケット代を支払って鑑賞しにくる観客がいなければ、オペラハウスは維持できない。

その為に、必然的にかなり大都市のみに持つことが許される建築タイポロジーである。オペラハウスと言われイメージされる世界の都市でも、シドニー、ウィーン、ニューヨーク、パリ、ロンドン、サンクトペテルブルクなど、やはり名だたる大都市が上がってくる。

日本に目を向けると、オペラの上演を可能とするサイド・ステージとバック・ステージを持つものとすると、

新国立劇場(東京都渋谷区) 1997年 設計;柳澤孝彦
よこすか芸術劇場(神奈川県横須賀市) 1994年 設計;丹下健三
アクトシティ浜松(静岡県浜松市) 1995年 設計;日本設計
まつもと市民芸術館(長野県松本市) 2004年 設計;伊東豊雄
富山市芸術文化ホール(富山県富山市) 1996年 設計;久米設計
愛知県芸術劇場(愛知県名古屋市) 1992年 設計;A&T建築研究所
滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール(滋賀県大津市) 1998年 設計;佐藤総合計画
兵庫県立芸術文化センター(兵庫県西宮市) 2005年 設計;日建設計

となるらしい。東京、名古屋、神戸は、上記のオペラハウスという文化施設を都市として維持するためには、チケット代として維持費を分担し負担する文化度の高い多くの市民が必要である、という流れで納得できる。

そう考えると、横須賀、浜松、松本、富山、大津などではどれくらいの人口で、どれくらいの人が足しげくオペラハウスに通うのかと気になったので各都市の人口を調べてみる。

横須賀市 408,934人
浜松市 791,513人
松本市 242,834人
富山市 419,240人
大津市 341,713人

浜松の人口がこれだけ多いは意外だったが、オペラハウスを持つ都市の基準人口がどれくらいなのか気になる数字であり、これらの市でオペラハウスの施設がどのように現在使われているのか気になるものである。

また松本と兵庫以外は、すべてが90年代というバブル時代に計画が進められた公共施設なので、その当時の想定と随分ずれてきている現在の差異がどのようにこれらの施設に影響を与えているのかも興味深いところである。

とにかく、市区人口は587万人、都市圏人口は1000万人を超す大都市と呼んでよいハルビン市にできるこのハルビン・オペラハウス。コンペから参加し、そのコンペを勝ち抜き、様々な困難を経験して現在最後の外装材の仕上げと、内装工事が進んでおり、規模が規模だけに、多くの部分を実際にモックアップと呼ばれる、1対1で実際の寸法で建物の一部を作ってみて納まりや素材、照明などを確認していく作業に追われている。

建設中なのでできるだけ情報を外に出さないように心掛けているが、やっとプレス・リリースできるようなところまで来たので、一部の現場写真も建築系ニュースサイトにアップされた。

Harbin Cultural Center / MAD Architects

シドニーの様に、街の誇りとして語り継がれ、世界から人を引き付けるようなオペラハウスになるかどうかは、この半年にかかっていると思っている。音響という身体に直接的に働きかける特殊な建築タイポロジーなだけに、実際に触ってみて、近寄ってみてはじめて分かる空間性。それを実現できるように、今まで費やしてきた時間とエネルギーを無駄にすることなく、手の痕跡が多く感じられるような内部空間を作り出せるように、あと半年を過ごすことにする。





2014年3月25日火曜日

「ゴールデンスランバー」 伊坂幸太郎 2010 ★★★

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第21回(2008年) 山本周五郎賞受賞
第5回(2008年) 本屋大賞受賞
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何かの本を読んでいると、ミステリーなんていう娯楽小説は、読んでも毒にも薬にもならず、読み終えてもなんら職業的向上、人生の価値に繋がらない。そんなものに時間を使うよりも、専門書に向かう時間を増やすべきだと書いてあるのを耳が痛くなりながら見たのも束の間、やはりリラックスする事も必要だと手にした一冊。

様々な賞を受賞し、映画化など何かと話題になっていたので、間違いなく娯楽として楽しめると信頼を置きつつも、本棚にほったらかしにしてあった一冊。読み始めてみるといやはや、何とも面白い。久々に止まらなくなりながら読み進める。

途中から、出てくるものは必ず後半で回収される布石だと思って読むことになる。印象的な花火。放置された車。飄々としたキルオ。それぞれは話の中でそれほど重要ではなく、恐らく思いついてどうしてもこれらを書きたいがために挿入したと少々テクニックが過ぎる感もあるが、それでも十分に面白い。先日の「ソロモンの犬」ほど、技に溺れる感がでるほどは踏み込んでいない。

タイトルの「ゴールデンスランバー(Golden Slunbers)」はビートルズの曲名で、直訳すれば「黄金のまどろみ」となるらしい。心地良い眠りとなるらしいが、大きなプロットがしっかりしており、緊迫感のある構図がちゃんと描かれ、そして登場人物の設定は明確に描かれている。その上、物語に新鮮さのあるトリックが使われており、何ともアメリカのドラマ的なプロットが実際に日本で起こってもおかしくないかなと最後まで読み切らせる力量はさすが様々な賞を取っただけのことはあると納得。

悪人の比率

日本の携帯にメールが届いているので珍しいなと多い見てみると、下記のような内容。

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差出人; (株)エスワーク

早速、本題に入ります。
現在お客様がご使用になった携帯電話端末より、以前お客様がご登録されました
「総合情報サイト」
「特典付きメルマガ」
「懸賞付きサイト」等において、無料期間内に退会手続きが完了されていない為、ご登録料金及びご利用料金が発生しておりましたが、料金が未払いの状態となったまま長期間放置されております。

当社はサイト運営会社より依頼を受け、料金滞納者の個人調査、身辺調査及び手続きの代行を主に行っております。
本通知メール到達より翌営業日正午までにご連絡を頂けない場合には、規約に伴い、
個人調査の開始・各信用情報機関への個人信用情報(ブラックリスト)の登録・法的書類を準備作成の上、即刻法的手続き(強制執行対象)の開始、以上の手続きに入らせて頂きますので予めご了承下さい。
手続き完了後、後日回収機関によりご本人及び第三者への満額請求へと変わる場合もあります。
手続き移行の前により良い解決に向かう為、退会の手続き、和解、相談等ご希望の方は、お電話にて担当者までお問い合わせ下さい。

※尚、本通知は最終通告となります。
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「オレオレ詐欺に引っかかる高齢者はなんであんなに簡単に引っかかっちゃうのだろう?」と思っていたが、やはりこんなメールがいきなり届くとやはり人は不安になるものである。

こういうのはやはりいきなり「個人」あてにくるから、相談する人もいなくて勝手に一人で不安になってしまうのが問題だろう。そんな訳でネットで調べてみると、出てくる出てくる、詐欺メールの報告。

詐欺・迷惑メール・架空請求・個人情報  注意対策・相談ブログ

(株)エスワーク って知ってる人いますか…  至急回答願います。 早速、本題... - Yahoo!知恵袋

何十万通もランダムに送り付け、その中の一人でも返信したらそれで元は取れるような詐欺になっているのだろうが、こういうのを見ると人というのは根本的には少しでも楽をして生きよう、お金を稼ごうとする生き物であるということを見せつけられる。

皆がそんなことばかりしては社会が成り立たないので、なんとか倫理観をうえつけて、まっとうに働いて労働の対価としてお金をもらうようにして生きていく。それでも、どんな社会においても、そんな辛い労働に従わずに、少しでも悪知恵を働かせ、人を騙すことで自分の利益を上げようとする悪者が必ずある一定の割合で現れるものであるのだろう。

それだけ知恵が働くのなら、普通に働いてもかなり立派な仕事ができるのではと思ってしまうが、やはり少しでも楽をして大金を手にしたいという動物的な本能が勝るのと、仕事で何かしらの達成感を感じようとする社会生物としての存在意義を一切感じないのだろうと想像する。

メールを見て少し不安になり、そしてネットで調べ、現在進行形の詐欺の形を理解し、そしてこうしてそれについて思いを巡らせる。そんな時間も悪人がいなければ費やすことになかった時間だと思うと、何とも無駄な時間を使わせてくれたな・・・と毒つかないわけにいかない。

2014年3月24日月曜日

希少性を薄める

テレビを見ていると相変わらず、「格差」「貧困」という内容で世間の不安を煽るような内容が流されている。「熟年離婚」や「介護」といった新しいものとくっつけての、新しい貧困のあり方を紹介し、誰でも貧困に陥ることはありうると警鐘を鳴らす。

その中で一点だけ気になったのが、親の貧困状態が子供の教育の機会の不公平を作り出していること。これは常識的に考えて、どの時代でも起こっていたことである。生活レベルの高い親は十分に子供へのケアを与えられ、また教育やスポーツなど様々な機会をも与えてあげることができる。得てしてそれらは時間と経済性という二つの余裕がないとできないことである。

しかし問題なのは、現在の教育システム。受験がある種テクニックの習得になっている状況では、如何にそのテクニックを身に付けることができるか、学校では教わらない内容が受験の現場で試され、その対策として塾に通って受験用に技術、テクニックを学ぶことができた子供のみ、優秀な学校に入学できる。

優秀な学校に入ることは、学歴を手に入れることと同時に、優秀なクラスメイト達と過ごす時間をも手に入れる。これが子供の生き方、時間の過ごし方に大きな影響を与えてしまう。どんなに素地が悪くても、一度そこに入ってしまえば、長年揉まれていくうえでそれなりに優秀な子どもになっていくシステム。

そう考えれば、塾に高い学費を払い、自分の子供だけには特別なテクニックを身に付けさせようと投資する親の気持ちも分からないではない。しかし、いくら子供や親がより高いレベルの学校に行きたいと望んでも、塾に通う経済性を持ちえない限り、自分ではそれを学ぶことができない。つまり親の経済性が大きなハードルとして子供の人生を決めてしまっている。

これは大きな問題である。酷い不公平な事態である。

経済性を持つ親は、できるだけ競争を楽にするために、より高い学費でより優れた内容の塾があればあるほど喜ぶはずである。愚かな自らの子供でも、お金さえ払ってその塾に通わせれば、そこに通うことができない一般の子ととの差を開けることができるから。

つまりは希少性をお金で買うことで格差の上への新路を進む現状。これでは同じ膠着した社会構造を保つだけで、何のイノベーションも起こらない。子供の能力とやる気にそって学ぶ可能性を与えてあげることができるのが健全な社会であろう。

ではどうするか?

それは価値を生んでいる希少性を薄めてやればいい。つまりは塾で高い学費を払ってでしか学ぶことができない知識、技術、テクニックを無料で公開し、誰でもそれを学ぶことができるようにしてあげればいい。なんともまっすぐな回答である。

それを実践しているのが東京大学の学生が立ち上げたNPO法人「manavee(マナビー)」。「地理的・経済的な教育格差の是正」を目標に、誰でも行きたい大学に行ける学習環境をウェブで無料にて提供するサービスを、ボランティアの大学生が教師を務めることで運営している団体だという。

社会の中ですでに「持つ者」となっている人々はその地位、利権を保持するために、できるだけ流動性のない社会を望む。硬直した社会が全体の利益になっている時代はそれでもいいか、変化が必要な現代のような時代には、さまざまな階層から新しい才能を持った若者が出てくる必要がある。

お金を払うことで、特権階級に居続けようとするお金持ち。その欲望をビジネスに転嫁する塾。ガチガチにビジネス化された教育制度の中ではじき出されて学ぶ機会すら得られない子供たち。

それを変える可能性のある大きな試みだろうと思われる。

そう考えると、ほかに希少性を薄めることで格差を解消することにつながることは多くある。本来誰もが発信者になることを可能にしたネットというのは、本来こういう目的につながるべきことであると思う。

このブログも、自分が若く建築を学び始めたばかりの時に、少しでも上の世代が何を考え、実際にどういう具合に設計実務の日々を送っているのか、その過程の中で何を見て、何を学び、どう職業的能力の向上につなげるのか。そんなことを知りたいと思っていたということは、今もどこかで同じように悩んでいる若者がいるはずで、ひょんな機会にその彼がこんなブログに目をとめて、少しでも建築家としての将来に明るい見通しを持つことができるようにと思っている。

百科事典が高価で特権階級しかある一定の知識にアクセスできなかった時代から、誰もが望めばどんなことでも知りうる時代に入った我々。覆い隠すことでは希少性を担保できなくなった時代には、新しい希少性によって価値を作り出していかなければいけない。

何を破壊し、何を新しい価値とするか。そしてその価値に自分がどう貢献できるかを考えながらテレビを消すことにする。

2014年3月23日日曜日

アルバムの裏面

歌手の発売するCDなどを見ていると、いわゆるシングルとして発売されるもののほかに、あまりにも多くの曲が作られているのに驚く。

シングルで売り出すような、自信を持てるものを作るのには、相当な時間と労力が必要になってくるだろうと想像する。それにカップリングするB面の曲。そしてアルバムを出す為に10数曲に及ぶ、シングルで売り出されることのない曲。それらをすべて全身全霊を込めて作っているとなると、ものすごいエネルギーになるはずである。

建築なんていうものは、構想から実際の竣工までゆうに数年はかかり、ものによっては10年以上のスパンで取り組んでいくことになる。もちろん並行していくつかのプロジェクトが動くと言えども、世の中に発表できるのは一年に一つや二つ。それが自信を持てるような良いものになれば万々歳である。

そういうスパンで見てみると、歌手も一年に一作でも、「これがどうしても創りたかったんだ」と思えるものだけをつくればいいと思うが、やはりマーケティングを考えるとそんな風にはいかないのだろうと想像する。事務所から、「とにかく売れるためにもっと曲を作らないと」と言われて薄くなっても数を作ることになるのだろう。

本でも一緒。本当に内容の濃いものは、そんなに簡単にポンポン量産できるはずもなく、力のある作家でもせいぜい何年かに一作くらいの割合で本当に納得できるものができるのではと思われる。

もちろん仕事である以上、行った作業に対して報酬が支払われる訳であるから、生活をさせていくために必要な金額を、作業の単価で割っていくと必然的にどれだけやらなければいけないか、どれだけこなさなければいけないかが計算できてしまう。時間を十分にかけて、密度を濃くしていくためには、その単価を上げるだけの価値を何かしら身に着けるか、それとも短い時間の中で濃度を上げていく自らの職業的能力を向上させるかのどちらかしかないのだろうか。

そんなことを思いながらも、アルバムの裏面の聞いたこともないような曲のタイトルに思いを馳せる。

「空中ブランコ」 奥田英朗 2008 ★★★★★


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第131回(2004年度上半期) 直木賞受賞
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目次
/空中ブランコ
/ハリネズミ
/義父のヅラ
/ホットコーナー
/女流作家
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久々に読みながら笑ってしまう小説である。「イン・ザ・プール」に引き続き、精神科医伊良部が心の闇を抱えて相談に来る患者の悩みをいかにも痛快な方法で解決していく物語。

そんな患者と伊良部の対比を通して、現代社会の過剰ぶりを描き出すのが本書の目的なのだろうが、それにしても前回にもまして笑えるようになった伊良部の行動。これだけ笑いで現代の閉塞感を吹っ飛ばしてくれるのなら直木賞受賞も納得の一冊。

「空中ブランコ」では、「飛べない豚はただの豚」と20世紀の名言を思い出させるかのように、サーカスの空中ブランコで上手く飛べなくなってしまったサーカス団員の治療をする伊良部。「何々、サーカス、面白そう」と勝手に見学に行き、着実に他の団員の心をつかみ、空中ブランコの練習を始め、終いには実際のショーに出てしまう伊良部。

誰もが、「これはさすがに常識的に考えて失礼だろ。無理だろう」と線を引いてしまうところが、伊良部にはそのラインが存在しない。とにかく自分の興味だけ。その世間とかけ離れた無垢な姿が周りを引き付けていく。

普通の人なら覚える空中ブランコの恐怖心。しかし伊良部にとっては楽しい部分が勝ってしまうから何の躊躇もなく飛び出していく。「ワールド・ウォー Z」の飛び出すゾンビのようなものである。ある種の線がぶちぎれているとしか思えないその行動。

そしてクライマックス。大勢の観客に見つめられながら飛び出す伊良部。その姿に主人公ですら少し期待をしてしまうほど、「デブは映える」。そして「クルリ」とクビをまわす伊良部。そのまま笑顔で落ちていく。なんともいい。

「ハリネズミ」では尖端恐怖症の男。しかもその男の職業は刃物と渡り合わなければいけないヤクザ。ヤクザの高圧的な言動にも一切動じない伊良部。いつもの当たり前が通用しないその診察の様子に、なぜだか知らないが再度足を向けてしまうヤクザ者。互いに相手には言えない弱みを持った者同士のヤクザの対決に立ち会うことになった伊良部。その様子が目の前に浮かぶようで笑いをこらえながら読み進める。

「義父のヅラ」。やってはいけない。と言われると、逆にやりたくてしょうがなくなってしまうその衝動。誰でも経験があると思われるが、例えば高層ビルのベランダで、下を覗けばくらくらするような高さ。そんな足も竦むような風景でも、頭の中ではベランダの手すりを越えていく自分の姿を想像してしまう。確か若い芸人でも、この症状を押しにしている人がいたようなと思い出しながら読み進める。

それにしても、妻の父であり、勤めている大学病院の会長である医師のカツラを取りたくてしょうがないというのは何とも秀逸な設定。その前段で渋谷にある金王八幡宮の「王」に点をつけて「玉」にしてしまおうと、深夜の歩道橋に二人でペンキを持って集合する中年の男たち。それにしても見事なまでに風景が想像できる表現力である。

「ホットコーナー」では、完全に投げるボールのコントロールを失ってしまったプロ野球選手。サードから一塁にどうやってもまっすぐにいかない。イップスなんていう言葉がはやったが、身体の動きというのは、些細な心の機微に何とも左右されるものか。会話でもそのレベルは明らかになるとプロ野球選手と素人とのキャッチボールを例にだしたのは齋藤先生。そのプロ野球選手もふとしたことで、もう戻ることのできないレベルに一気に落ちてしまうのが現代社会の恐ろしさ。

「女流作家」では、締切に追われながら、自分の求める作品が書けないにも関わらず、世間での人気作家としての地位を守るために必死になっている女性作家。マンネリ化に陥っていることを理解しつつも、それをテクニックだと自分を納得させてはいるものの、治療に訪れた先の精神科医がなぜだか自分も小説を書くと言って送ってくるものが、少々新鮮に映る姿に、プロフェッショナルとしてキャリアを積み、その先で壁に当たった時の心の整え方について思いを馳せる。


今回も見事に面白おかしくではあるが、しっかりと現代に生きる人の息苦しさ。そしてそれがすべて一般常識や世間の見方など、自分が勝手に作り上げた怪物の姿におびえることから来ているのだと、横で赤子のように無邪気に楽しむ伊良部の姿を対比させることで描き出す。「人のフリ見て我がフリ直せ」ではないが、患者と伊良部の姿を見て我々は自らの日常を見つめなおすことになる。


2014年3月21日金曜日

「うなぎ」今村昌平 1997 ★★★★★

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第50回カンヌ国際映画祭 パルム・ドール
第71回(1997年度)キネマ旬報ベスト・テン 日本映画 1位
第26回キネマ旬報読者選出ベスト・テン 日本映画第2位
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ここ最近は日本人の映画監督だけでなく、日本人の俳優が華やかな現地でのセレモニーに参加することで何かと注目されることになっているカンヌ国際映画祭

海外の映画祭といえば必ずあがる有名映画祭であるが、ベルリン国際映画祭、ヴェネツィア国際映画祭と併せ、世界三大映画祭の一つである。フランスの映画祭だけあって、やはりハリウッドで受けるようなものとはまったく違う価値観とテーマを持った作品が出品される映画祭である。

そんなカンヌ国際映画祭において、日本人監督として二度も最優秀賞にあたるパルム・ドールを受賞した日本人映画監督が今村昌平(いまむらしょうへい)。誰でもその名前は聞いたことがあるくらい、映画監督としては知名度の高く、毎年「今村監督作品の○○が今年の○○国際映画祭に出品されました」などというニュースを耳にしている気がするくらいである。

早稲田大学出身の今村監督。平成18年に79歳にて亡くなられたのだが、あまりに耳にしている回数が多いので、ついついその作品も見た気になってしまっていたが、改めて観てみようと思い何を見るかと考えるとやはりこの作品からかと選んだ「うなぎ」。

二度のパルム・ドールを受賞したというが、その受賞作は1983年の「楢山節考(ならやまぶしこう)」と1997年のこの「うなぎ」である。何とも意味深なそのタイトル。97年の作品なのでそれほど古くはないはずだが、時代設定が1988年にされ、それに合わせるように画面の色もやや色あせたレトロな色調。

釣好きサラリーマンの主人公を演じるのは若き日の役所広司。ある日、差出人不明の手紙を受け取り、その内容を見てみると、「あなたが釣りに出かけている夜には、奥さんが男を連れ込み浮気をしている」と。そんな訳はないと思いつつ、気になってある日早めに釣りを切り上げて帰宅すると、そこには男との不倫の現場の妻の姿。

怒りにまかせ妻と男とめった刺しにしてしまう主人公。そのまま自転車で近くの警察に「妻を殺しました」と出頭する男。そのまま服役をし、8年後に釈放される時には、囚役中に飼い始めた「うなぎ」と一緒に塀の外にでてくることに。

その後世話人の住職の世話により、千葉の佐倉市の川辺のバロックを改修し、質素な理髪店を始める。くるくる回る懐かしの理髪店のサインポール。興味半分で集まる地域のやさぐれ者達。妻の裏切りから人間不信になっている主人公は寡黙に淡々と仕事をこなし、できるだけ深く人と関わりあわないようにと日常を送る。そんな彼が唯一心の内を明かせるのは、飼っているうなぎ。

そんなある日、川辺で自殺未遂をしている若い女性を見つけてしまい、警察に届けることに。命を取り留めたそのヒロインは事情があって東京から逃げ出してきたらしく、「ここで働かせてください」と強引に理髪店を手伝うことになる。

そんな小さいながらにコミュニティがあり、濃厚な人間関係があり、それぞれに深い闇を背負って生きていながら、人とのつながりの中で、やっぱり人間は人間と一緒に出なければ生きられないというような、暖かい日常を描き出す。

何かのきっかけでこうして殺人を犯してしまうことがあるかもしれない。それは人間誰でもわからない。でもこうして人生をやり直すことができ、真摯に生きていれば、それをしっかりと受け入れてくれる人たちがいるという日本の風景は、それはそれで美しいと思わずにいられない。

新自由主義経済の波が押し寄せて、誰もが自分の生活で手いっぱいとなった現代社会。こうして隣人の人生に深く手をつっこみ、そして付き合っていく地域コミュニティのあり方は、これからどんどん難しくなっていくのだろうと思いながら、これもある意味現代から失われた「三丁目の夕日」と同じ風景なのだろうと想像を膨らませる。
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スタッフ
監督 今村昌平
脚本 冨川元文・天願大介・今村昌平
原作 吉村昭
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キャスト
役所広司 山下拓郎
清水美砂 服部桂子
柄本明 高崎保
田口トモロヲ 堂島英次
常田富士男 中島次郎
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作品データ
製作年 1997年
製作国 日本
配給 松竹=松竹富士
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2014年3月20日木曜日

「イン・ザ・プール」 奥田英朗 2002 ★★★

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目次
/イン・ザ・プール
/勃ちっ放し
/コンパニオン
/フレンズ
/いつまでたっても
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NIRVANAのNever Mindを思い起こさせるその表紙から、バリバリのロックな話かと想像していたら、なんとも拍子抜けする精神科医のお話。続編にあたる「空中ブランコ」が直木賞を受賞したということで、恐らくセットで手に取った一冊。なんだか流行りものの軽い感じかと思っていたのでなかなかページを開くことがなかったが、齋藤先生も絶賛とういことで読んでみることにする。

極端だけれども、誰でもその気持ちは理解できなくはないという現代に生きる心の闇を抱えた患者がひょんなことから訪れる精神科。そこに現れるのはけっして医者らしくないデブで気が利かない精神科・伊良部。

本人にとっては一大事なのにもかかわらず、その飄々とした態度と言葉で「あれ、悩んでいたことはなんだったんだろう?」と、その悩みの基盤となっていた一般常識、世間の常識が当たり前でないとそこからぶっ壊そうとする伊良部の態度。

表題にもなっている「イン・ザ・プール」では、プールで泳ぐことが習慣になった編集者が、今後ははまりすぎ、逆に禁断症状となってしまい、泳ぐことができなければ生きていけないようになってしまう。しかし、伊良部は一緒になって泳ぎにはまり、編集者よりもどっぷりとその症状に嵌っていく。

周囲から「あなた、そろそろやばいんじゃない?禁断症状になっているんじゃない?」と心配されて、所謂精神病との狭間にいると意識される編集者は、そんな伊良部の姿を見ると、何が常識かを揺さぶられる。


次の「勃ちっ放し」では、勃起がおさまらなくなってしまった会社員。それはいつでも「いい人」を演じてしまい、自分の感情を外に出さないことが原因だと思い込むが、それでもなかなか自分の性格は変えられない。恐らく現代社会に生きる半分ほどの人は、自分だけ周りに気を使って、なんて損な役回りだと思いながらも、同じように明日も過ごしているのだろうと想像する。

「コンパニオン」ではよりわかりやすく、2流モデルが自意識過剰でファンによるストーカー被害にあっていると妄想が止まらない。その自意識過剰のせいで、周囲の友達もいなくなり、仕事もできなくなっていくが、それはすべて美しすぎる自分への嫉妬からくるものだと思ってしまう。周囲との意思疎通の取れるコミュニケーションが取れないまま大人になってしまった自己意識の肥大した大きな子供。そんな人間が街にあふれる現代社会を見事に描き出す。

「フレンズ」では、携帯でメールをし、友達とSNSをすることが、自分の存在意義、イケている、皆に愛されている自分の居場所だと思って過ごす高校生。中学までは全然イケてなかったので、高校デビューばかりに思い切って明るい自分を演じてみて、CDも誰より先に買ってはカラオケの練習をして皆から注目を集めようとする。自分の望む姿と現実の自分の姿のギャップをうまく消化できない思春期を思い出させるような物語。

「いつまでたっても」では、家を出ると、ガスを止めたか?煙草の火は消してあるか?なんて気になってしまい、家から出られなくなってしまうライターの話。これも誰でも一度はそんな不安症に襲われたことがあるはずで、バスに乗ったとたんに、「あれ・・・?」と窓を閉めたか不安になったりするものである。


世間の常識に囚われず、また一般の会社に勤めることで「立派な会社員」として振る舞うことを強いられることのない伊良部。その強みは、実家でもあるがゆくゆくは自分の病院をバックグラウンドにはしているが、精神科医として確かな職業的能力を持ち、誰がなんといっても、間違いなくその道のプロフェッショナルであり、それで自分の生活をさせることができるという誰にも負けない自信。

それがある限り、誰に何を言われても、誰が何を思おうとも、不安になったり、委縮する必要がない。登場する患者は、「こうでなければいけない」、「みんなからこう見られない」という意識が高じて、自分で自分の病気を作り出してしまっている。

日本の建築界で誰もが公の場で、「あいつの作品は酷い。見れたもんじゃない」と非難しないのは、やはりどこかでつながっており、それが自分の利益につながることもあるかという思惑が見え隠れするからであろう。それが一度日本を自らのマーケットとして見なくても、十分に自分の生活を支えることができるようになった時に、より自由に発言ができるようになるというものである。

そんな閉塞感が漂うことすら変な世の中であるが、伊良部から学ぶことは、何よりも自分の職業的能力を高め、それにより自らのマーケットを開拓し、生きていける人間は、どんな時代にもやはり強く朗らかに生きていけるということであろう。




2014年3月19日水曜日

「コミュニケーション力」 齋藤孝 2004 ★★★★

建築という極めて「コミュニケーション」が多くの地位を占める職業についていると、日常の中で様々な人と接することになる。その中には、自分の思っていることだけを、バァーーッと話して、あたかもそれが理論的で的を得ていて自分は偉いんだと満足げな表情をしているような人を見かける。そんな時にこの本を手にすると、「なるほど」と何度も頷くことになる。

言葉を介するということは、言語を介するのとはレベルが違う。相手の文化的バックグラウンドや、過ごしている日常で接している人々の教養レベル、ボキャブラリー、文脈力、構成力、全体を捉える能力、どれくらい本を読んでいるか、どれくらい勉強しているか、どれくらい世間に対してアンテナを張っているか、そんなことを判断しながら、その相手との会話に適した内容で、語彙を選び、散らし方を調整しながら会話を進めること。

ある分野の職業的能力が高いからといっても、それはコミュニケーション能力が高いとは一概に言えず、自分の分野に関しては、長い年月をかけてここまで理解できるようになったということをしっかりと認識し、門外漢の人にレベルを落とすことなくわかりやすい言葉で伝えることができつつ、自分の分野以外のことにもある程度の基礎知識を入手する努力はしながらも、それ以上の専門性の高い部分に関しては、想像力と自分の分野で培ったきた経験を駆使して、相手のレベルがその分野でどれくらいのものかを探りつつ、徐々に把握していく。

門外漢の人にあたかも専門性が高いというように装うことは簡単であるが、本当のプロフェッショナルであれば、掘っても掘っても底が見えないくらいの知識の海を感じさせるべきであり、同時に「これだけ勉強している人ならまちがいない」と相手を安心させるべきであろう。

専門分野において、自分の立ち位置と目指すべき高みへの距離感。それをズレることなくしっかりと把握することは、同時に新たに接する人がどんなに違う分野に属していようとも、その人がその分野でどのような立ち位置にいるのか、そしてどのような高みを目指しているのかを図るうえで、大きなズレをもたらさないようにしてくれる。

だからこそ、文化レベルの高い人と話す時には相当な緊張感を感じることになる。自分の無知を知られ、うまく会話を紡げないのではという恐怖。しかし本当に教養レベルの高い人と話すと、うまくダンスをリードしてくれるかのように、会話に適切なフレームを与え、「今、何が会話の焦点か」を明確にして進めてくれる。そして自分でも曖昧にぼんやりと描いていたイメージに対して、うまく言葉を当てはめてイメージを明確化してくれる。そんな会話は非常に心地が良いものである。

会話力のある人、ただ頭がいいだけでなく、相手との会話の中で本人すら思ってもいなかったような新しい意味を与えてくれるような喜びを伴った会話に参加させてくれるような人。誰もがそんな人との会話の時間はとても楽しいものだと理解している。

そういう人は年齢を重ねれば到達できる訳でもなく、やはり人生の中で常に意識を持って会話を重ねていくことでしか辿りつけない。

多くの人と接していればいるほど、そのような会話力のある人というのが如何に貴重な存在かも理解している。そういう人と日常の中で同等の関係を保つためには、自分も相当な努力を積み重ねなければならず、大概はその不一致の為に、学校で先生に授業という立場で授業料を支払い会話を共有させてもらうか、それとも夜の街の様に高いお金を払って会話の時間を買うことになる。

大切なのは、自らの専門性を深めつつ、それ以外の分野の基礎構造を理解する横へのい広がりをもって総合知を獲得しながらも、多種多様の人と会話をしながら楽しみつつも技を磨いていくしかないかと思われる。その為にはなんといっても、人への興味を常に持つことが大切であろう。
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第一章 コミュニケーション力とは
―文脈力という基本―  
コミュニケーションとは意味や感情をやり取りする行為
やりとりする相互性があるからこそコミュニケーションと言える
人間は感情で動くものだ
同時に感情面での信頼関係を培う事のできる人は、仕事がスムーズにいき、ミスもカバーしやすい

/「感情」と「意味」の座標軸
恋人同士という関係においては、意味を常に生産していくような関係が求められているのではなく、感情を確認しあい強固にしていくことが重要なのである。

/ディベート乱用の危険性
本当に求められている能力は、相手の言いたいことを的確に掴む能力である、要約力
クリエイティブな対話 相手を言い負かすだけの議論は、一見はなばなしいようでも生産的ではない
何かの価値を押し通そうとしているというのが実情

/クリエイティブな関係性
新しい意味がお互いの間に生まれる
大切なのは、今ここでこのメンバーで対話をしているからこそ生まれた意味がある。
意味に日付と場所を書き添えることさえできる
目的は、一つでもいいから、具体的なアイデアを出すこと
自分一人では思いつくことのできなかったことを思いつく
触発

/自分と対話し言葉を探す
文章を書くという作業は、自分自身と対話する作業である
言葉にすることによって、感情に形が与えられるのだ
現在流れている会話の流れをひたすらつないでいるだけの会話もある
相手と話している文脈は維持しながらも、自分自身の経験値の深みに降りていく。この二つの作業を同時に行う能力が、対話力である。
相手の経験世界にまで思いを馳せることだ。

/「ていうか」症候群
話題を全く変えてしまうのだ
それまで相手の話していたことと全く関係のないことを話し始める
お互いに言いたいことだけを言う
自分の話したいことを話すほうを皆が選択している
誰でも自分の話をしたいからだ
この癖がついたままで、友達以外の人と話をする状況になると問題が起こる
相手と自分との間にできるはずの文脈を軽視、ないしは無視する。
深まりのなさ、自己中心、話せる相手の範囲の狭さ
自分の身の回りの情報を伝え合うだけでは、コミュニケーション力は向上しない

/文脈力とは何か
文脈を的確に捕まえる力
思考をつなげて織物のように織りなしていく力
文脈力があるかないかが、文章を書く上で最も重要な分かれ目である

/会話で迷子になる
会話における文脈は二つある
一貫性があるかないか
お互いの発言がきちんと絡み合っているかどうか
話の分岐点には、必ず目印がある。それは当然、言葉だ。
戻るべき主流などはなかったという会話を、おしゃべり
「散らす」と「戻る」

/文脈力のレベル
レベルにははっきりとした差がある
素人でもキャッチボールはできる
プロ野球選手同士

/メモをとりながら会話する
会話の最中にメモをする
文字こそは、文明を加速させた一番の要因である

/人間ジュークボックスにならないために
お互いの会話を絡ませることができているかどうか
独りで話している間はまとまな話をすることのできる人の中にも、相手の発言と自分の発言とを絡めて話すことのできない人は意外に多い
すぐに自分の話をし始める
人の話を途中で遮る
人が使った言葉をうまく使いこなすことがない
相手が変わっても同じエピソードを繰り返し話す人がいる
相手の話したいことと絡んでいない

/誰とでも会話の糸口を見つけられるか
話す相手が幅広い
老若男女と接する機会が多い
誰とでもすぐに世間話ができる。これは重要なコミュニケーション力である

/コミュニケーションするからこそ家族
家族においては、生産性よりも、感情が交流することのほうが重要なのである。
コミュニケーションしたいという欲求


第二章 コミュニケーションの基盤
―響く身体、温かい身体―
コミュニケーション、響きあいである
使わなければ、力は落ちていく

/基本原則その4 相槌を打つ
/『浮世風呂』の身体コミュニケーション
それを反復し、技にする。 これが学習の王道である
世阿弥のいう、「離見の見」は、観客側から見える自分の姿を役者が意識するということ
自分を客観視する力
「演劇的身体」
エネルギーは出せば出すほど湧いてくる

/雰囲気の感知力と積極的受動性
空気を感じ取るだけでは不十分だ。感じ取りつつ、方向性を修正していくことが求められる

/沈黙を感じ分ける
不毛な沈黙 充実した沈黙
モーツァルトのピアノ協奏曲第20番第1楽章
マックス・ピカート つねに第三社が居合わせている 沈黙である。
「沈黙の世界」


第三章 ミュニケーションの技法
―沿いつつずらす―
沿いつつずらす
要約力が武器
自分がそれを再生しなければいけないと思って聞いてはいない
実際にできねば無意味
自分が再生するのだという前提
ほとんどの知識が伝授可能になると考えている
知識の伝授が大きな割合を占めている
人の話を聞いたという証は、その話を再生できるということである

/言い換え力
言い換え力
理解したというレベルと、言い換えることができるレベルは、別である
奥田英朗「空中ブランコ」
精神科医が患者に話を聞きましょうよと言われるのは、読んでいて笑える

/人間理解力
人間理解力のある人は、いろいろなものが見えている。なぜこの人はこういうことを言うのか、なぜこんな言い方をするのか、といったことが分かってくるのだ。

/コミュニケーションは誰とでも可能である
たくさん読まなきゃ、ちゃんとした話はできないんだ
柱は読書によって培われる
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■目次  
第一章 コミュニケーション力とは
―文脈力という基本―  
コミュニケーションとは
/「感情」と「意味」の座標軸
/ディベート乱用の危険性
/クリエイティブな関係性
/インスパイアとインスピレーション
/自分と対話し言葉を探す
/「ていうか」症候群
/文脈力とは何か
/会話で迷子になる
/三色ボールペンのメモ術
/マッピング・コミュニケーション
/人間ジュークボックスにならないために
/誰とでも会話の糸口を見つけられるか
/いきなり本題から入る
/コミュニケーションするからこそ家族
/親子間、きょうだい間での手紙
/和歌のやりとり
/連歌ー座というスタイル
/回しが気で作文をする
/弁証法的な対話
/セックス・コミュニケーション


第二章 コミュニケーションの基盤
―響く身体、温かい身体―
響く身体、響かない身体
/基本原則その1 目を見る
/基本原則その2 微笑む/基本原則その3 頷く
/基本原則その4 相槌を打つ
/『浮世風呂』の身体コミュニケーション
/連座ー自我の溶かし込み
/外国語学習と身体
/ウォーキングの効用
/ハイタッチとスタンディングオベーション
/[fantastic!]と拍手
/体温が伝わる方言
/癖と癖がコミュニケーションする
/練習問題
/演劇的身体でモードチェンジ
/雰囲気の感知力と積極的受動性
/沈黙を感じ分ける


第三章 ミュニケーションの技法
―沿いつつずらす―
沿いつつずらす
/偏愛マップ・コミュニケーション
/要約力と再生方式/言い換え力
/「たとえば」と「つまり」
/会議を運営するコツ
/ブレイン・ストーミングのコツ
/ディスカッションのコツ
/メタ・ディスカッション
/プレゼンテーションのコツ
/コメント力
/質問力
/「ゲーテとの対話」
/相談を持ちかける技
/ズレやギャップをあえて楽しむ
/会話は一対一ではなく多対多
/癖を見切る
/人間理解力
/過去・未来を見通す
/コミュニケーションは誰とでも可能である


あとがき
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内視鏡検査 

本日は内視鏡検査に腸の検査と、胃カメラによる胃の検査。数週間前から続く下血の様子が怪しいので、胃癌を患った一親等もいるということで、この歳で一度両方とも検査をしておくといいという医者の勧めに従って、アメリカ資本の先端の病院で検査を受けることにする。

さすがにアメリカ資本ということだけあって、治療も保険での支払いが可能かどうかが確認できない限り受け付けないという。幸い近しくお付き合いさせてもらっている友人が医師として勤めている病院でもあったので、話をつけてくれて比較的スムースに手続きが終わり、英語の流暢な中国人の医師に診察をしてもらう。できるだけ早めに胃カメラと内視鏡検査を行うことになるが、その検査の日を決めるにも、保険が降りるかどうかの確認が取れなければいけないということで、数日後に改めて電話するという。

国民皆保険に慣れた日本の生活からすると、「この時間の間に病状が悪化したらどうするつもりだ」と怒りたくもなるが、基本のベースを抑え、あとは高い値段を払って保険に加入して自己責任で医療を選択するというアメリカナイズされた病院の現場を見ると、いったい何がいいのかと考えずにいられなくなる。

そんな訳で一週間後に検査を予約し、「当日は全身麻酔をしますので、マンションの契約や高額の買い物などは控えるようにしてください」という医者の言葉に、「そんなに蓄えないので大丈夫です」と恐らく9割の人が同じ言葉を返すだろうと思われる内容を中国語で伝え、少々気恥ずかしくなりながら、検査の3日前から始める繊維ダイエット、前日からの絶飲絶食、それに前日夕方からの下剤の説明を受けて帰宅する。

そして迎えた前日。恐らく内視鏡検査は以前に東京でも受けていたはずだが、これほど下剤が苦しいという記憶はなかった。1リットルの水に粉上の下剤を溶かしてとにかく飲む。「2袋目から効果がでてきますので」という言葉が間違いでなく、コップ一杯飲んではトイレに駆け込んで、泣きそうになりながらまた水を飲むという繰り返しで、なんとか飲みきったと思ったら、一時間後の次の下剤の時間がもうすぐに・・・・

「こんな苦しい思いをするなら検査なんか受けなくても・・・」と思うくらいの強烈な下剤。夜もほとんど眠れずに朝の分の下剤の時間。横でスースー寝ている妻の姿をやや恨めしく思いながらなんとか課せられた4袋を消費する。午後からの検査のために、何かの勉強会に参加するという妻を見送り、一人ふらふらしながら時間を過ごし病院へ。

直接胃腸科の受け付けに行くと、着替えをさせられすぐに診察台に。医師と看護婦合わせて10人近い大所帯。簡単な説明を受け、口に管を加えさせられ、しばらくすると意識がなくなる。気が付くと「すでに終わりました」とどれくらい時間がたったかも分からない。「これが現代の医療か・・・」と少々ふらふらする身体をお越し、やってきた妻と一緒に説明を受ける。

「胃と腸に小さなポリープが見つかったので切っておきました。それを今精密検査して調べていますので、結果が出次第連絡します。でも大きな問題はないかと思いますよ。これはあなたにとって良いニュースですよ」という医師の説明を受け、ふらふらになりながら、やっと食事がとれるという生物としての根源的な喜びを感じながら病院を後にする。

2014年3月18日火曜日

ニュースしての広告

朝起きてテレビをつける。脳を目覚めさすのにちょうど良い程度の「軽さ」を持ったワイドショーにチャンネルを合わせる。

そんなワイドショーで最近特に目につくのが、「あるタレントがCM撮影の現場でこんなハプニングがありました」、「こんなお茶目な一面を見せてくれました」といったニュース。そしてそのCMは得てして番組や局のスポンサー企業のもの。

「せっかく撮影したCMを、CMとしてだけでなく、ニュースとしてもお茶の間に届ければより一層の広告効果があるのでは?」といった広告代理店の安易な新潮流なのか、それともステルスマーケティング(ステマ)が叩かれ使えなくなったので、ニュースという冠を被せることで、新たなステマ方式の商品刷り込み作戦としか思えない。

そういうニュースをしゃべっているアナウンサーを見ていると、さぞや虚しく感じているのだろうと勝手に想像力を膨らませてしまう。タレントが違う番組に出演して番組宣伝をするのはまだ理解できるが、こうしてワイドショーにニュースとして広告を刷り込んでくる様子を見ていると、こうして番組内で取り上げてもらうことまで含んで広告費だとしている企業と広告代理店の想像力の無さに別の虚しさを感じずにいられない。

2014年3月16日日曜日

「ソロモンの犬」 道尾秀介 2008 ★

表紙が随分特徴的で「softbankのお父さん犬・・・?」とごっちゃになりながら、何となく頭の中に残っていたそのイメージ。「月と蟹」「光媒の花」が余りに鮮やかだったので、そのレベルを期待して購入した一冊。

しかし、何とも残念な内容である。びっくりするくらいのその仕掛け。余りにも唐突に挿入される物語の中の挿話に、明らかにこれは後で回収するための布石だろうと当たりをつけられる。

作者がよく行う、「この流れだと読者は説明しなくても当然こういう風に想定して読み進めるだろう」という読者の想像力を逆手にとって、「エッ」という展開に持っていくのだが、余りにも直裁的なその技巧。技に溺れた感が否めない。

オペラ 「エフゲニー・オネーギン (Eugene Onegin)」 NCPA 2014 ★★

「オネーギン、オネーゲン、オネーギン、オネーゲン」

なんとも響きが気持ちいいので、妻と二人で互いに「オネーギン」と言い合っては笑いあう。いつもの通りメンター夫妻に勧められて購入したオペラ。「コンサートよりも視覚的にも楽しめるオペラのほうがいい」という妻の要望もあり、久々に足を運んだ大きなオペラ用のホール。

この「エフゲニー・オネーギン (Eugene Onegin)」。チャイコフスキーの代表的オペラだという。チャイコフスキーといえば、「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」という3大バレエかと思っていたが、オペラも手がけていたとは知らなかった。

ではその「エフゲニー・オネーギン」の原作はというと、ロシアの作家、アレクサンドル・プーシキンの韻文小説であるという。モスクワ生まれのプーシキン。19世紀初頭のロシア近代文学を支える大作家という。なんでもロシアでは最も人々に愛されている詩人であり、「我々のすべて」と言われているという。

そしてプロダクションはもちろんロシアはサンクトペテルブルクを拠点とするマリインスキー劇場(Mariinsky Theatre)。そしてオーケストラを指揮するのは現代ロシアの英雄、ワレリー・ゲルギエフ。例の小さな爪楊枝のような指揮棒の指揮者で、先日の措置・オリンピックの開会式に、オリンピックの旗を持って更新した最後の6人の一人。

そんな小さな指揮棒に導かれるように響き渡るアルファ波。その後ろから押し寄せるような睡魔と闘いながら、「一体どうしたらそんな風に遊んで暮らせるのだろうか?」とついつい疑問に思ってしまうイケメンのオネーギンの一生を見ていく。

やはり貴族が貴族として存在していた時代には、必然的にその生活を支える下部組織が存在していたことも事実であり、友人を撃ち殺してしまった事に傷つきヨーロッパを放浪したといっても、綺麗な格好で先々でパーティーに参加したりと、その放浪のイメージがまったく違う様子に、村上春樹の言葉を思い出さずにいられない。

昨年秋からどっぷりと身体と脳と浸してきたロシア文化。進めているコンペの為ではあったが、それが少しずつ点から線へと繋がってきた感じがする。次はモスクワでその線を面へと広げてできるだけ身体の中へと吸収する事にする。




マリインスキー劇場
チャイコフスキー
アレクサンドル・プーシキン
ワレリー・ゲルギエフ


2014年3月15日土曜日

会話と話

中国人と結婚し上海郊外の无锡という街に移り住んだ元スタッフが北京に来るのでご飯でもどうだろうと誘ってくる。

あちらでの生活は非常にゆっくりしたもので、朝起きて本を読み、ご飯を作って自分のやりたいプロジェクトについて思いを巡らしパソコンに向かい、夜にはまた静かな環境で本を読むという日常を、「とても禅な時間だ」と表現する、ハーバード出身のインテリゲンチャ。

オフィスをやめてからほぼ一年をかけて世界を巡り、様々な経験をしたのちに、長く付き合っていた彼女を結婚をし、今は彼女の地元の街でほとんど外国人とも触れ合うことなく時間を過ごしているという。

せっかくなので妻もつれて、静かな日本料理屋に連れて行くが、とにかく自分の思っていることや好きな事をどんどん話してくる。今思い描いているプロジェクトや、都市の新しい認識の方法など、次から次へと言葉が出てくる。

そんな様子を見ていると、恐らく今の日常では、こういうことを面と向かって話す相手がいないのだろうと勝手に想像する。そんな彼の言葉を聞きながらも、こちらもあーだこーだといろんなアイデアを出して会話が盛り上がる。門外漢の妻も楽しみながら、あっという間に数時間過ぎてしまう。

これからもう一軒別の友人に会いに行くと颯爽と自転車で去っていく彼を見送り家路につきながら、こうして母国語ではなくても、話している内容を共有し、そのイメージを共有しながら会話ができること。その会話が想像力を掻き立てることができる相手がいることは人生の何よりの財産なのだと思う。

たまに顔を出す集まりなどでは、何とも表面的なことしか話さない。その人の人格の深いところに関わらない話、その人が人生でどんな時間を過ごしてきたか、どんなことを考えて日常を過ごしているか、どんな本を読んでいるのか、そんな本質が入ってこない内容の話が流れていく。

表面的といえばそれまでだが、なんともさらーっと滑っていく言葉ばかり。そんな話は排泄と同じであり、決して何かが違う意味になり返ってきて、それに自分の脳が刺激されるような会話にはなってこない。

そんな言葉の浪費に何の意味があるのだろうかと考えると、それはただの寂しさを紛らわせることなのかと考える。そういう心の弱さに流されず、一人でも自分の世界に向き合い、読書の中で様々な人と会話をし、そしてたまに同じ言葉で会話をする機会を楽しむ彼のような時間の過ごし方は、心の強さを要求する。

少なくてもいいから自分が会話できる友人を持ち、その友人の刺激になるように常に自分も向上をするために、心の弱さに流されず、寂しさを紛らわせるために時間を浪費しないようにと心を引き締めることにする。

2014年3月13日木曜日

プロフェッショナルの定義

朝ドラの当たり年だった2013年。朝ドラだけでなく、ドラマの当たり年といってもよいかもしれない。

その最後を飾る「ごちそうさん」もあと少しを残すだけ。物語を彩る様々な個性的な登場人物の中でもとりわけ印象的なのが、建築家の大先生である竹元勇三。物語の中では、ヨーロッパを遊学し、最先端のデザインを学び帰国し、帝大で教鞭をとりつつも、大阪の近代化の肝入りプロジェクトである御堂筋線の駅舎のデザインを行う人物である。

天才というのを印象付けるように、思い立ったら人の意見など聞かず、自分の信じる建築をいかに実現するかに邁進する。予算がなくて、どうしても設計変更で対応しようとする主人公に対し、

「お前の仕事は私のデザインを守ることじゃないのか!!!!!」

と大声で怒鳴る竹元教授。これはあたかもスター建築家、大先生というのは、予算も条件も何も考慮に入れなくて、自分の感性の赴くままにデザインをし、愚鈍な大衆には理解できない、大変立派なビジョンを一人の天才が社会に実現してやるのだといわんばかりの態度に映ってしまい、大きな誤解を生む可能性もありそうである。

自分は美しいもの、理想を掲げた外形だけを気にして、建築が抱えるもっとドロドロした部分、機能の調整や、予算の問題、関係するさまざまな人たちの要望や、工期の問題。雨水処理や換気方式などなどとにかく上げれば切がないほど細部にわたり、一つでも無視することができないのが建築が総合芸術と呼ばれる所以である。

それを、そんな些細なことは下々が処理するべきで、私のような天才は、もっと大きなビジョンを提示すればいいのである。それを死守するのが私の役目である。という描き方。

「このデザインだと要求される面積が足りないんですけど・・・」

という担当者の言葉に対して、

「それならば面積が足りなくても問題ないとクライアントに言えばいい!。その数平米とこのコンセプトを守ることとどっちが大事だと思っているんだ!」

と怒鳴るようなものであるが、それでは建築は成り立たない。それでも成り立った時代があるのかもしれないがそれはまた別の話。とにかくグローバル化した現代社会。誰もが同時代的に情報を得ることができる中、建築家が世間から距離を置き、専門家としてのベールをまとうことで「天才」を演じ切ることはできない時代。本当に一から十までどこの部分でどれほどの能力があるのかどうかがすぐに分かってしまう時代においては、プレイング・マネージャーとしての建築家でなければやっていけない。

その竹元教授のモデルとされたのが、まさに「ごちそうさん」の同時代である明治から大正にかけて活躍した建築家・武田五一(たけだごいち)。東京大学を卒業し、東大で助教授を務め、文部省より派遣されヨーロッパへの留学。そこで見てきたアールヌーボーやセセッションを日本に紹介し、帰国後は京都大学で建築学科を設立し、大阪の街づくりのシンボルでもあった地下鉄御堂筋線の心斎橋駅を1933年に設計し、セセッション様式を採用して設計を行った。

[大阪名所図解] 地下鉄御堂筋線 心斎橋駅

まさに「ごちそうさん」の竹元教授そのもの。

内藤廣が「形態デザイン講義」でもいうように、技術を社会にわかりやすく、そして受け入れてもらえるように翻訳するのがデザインであるとすれば、ヨーロッパで学んだ新しい鉄筋コンクリートの天井の高い大スパンの空間の心地良さ。そこに煌びやかな洗練された装飾が適度に施され、訪れる人を迎え入れてくれる駅舎空間。その駅舎空間を地下鉄の駅に採用した武田五一。日本が近代化していく過程で人と物を動かす起点となり、都市の活動の幅を広げる地下鉄の駅には、新しい空間が必要だと採用したその様式。

知識が限られていた時代においては、それを見て理解していることは専門家としての地位を守る大きな武器であった。しかしその知識の希少性が薄れる時代においては、本当の意味で新しいものを作り出せる想像力か、さまざまな条件の中で創意工夫をしてクリエイティブな解決法を見つけていける力か、それとも技術を深く理解し、その本質を熟知することで、関係者にとってメリットのある方式を提示し推し進めていくプロフェッショナルとしての実現力があるかどうか。

少なくとも、ある分野で進んだ国家に留学し、それを持って専門家として一生安泰の地位でいることは不可能となった時代において、専門家、プロフェッショナルとして何を持ってそう呼ばれるのかを、誰もがみな今一度顧みる必要があると感じさせられるドラマの一シーンである。

2014年3月11日火曜日

「The Walking Dead」フランク・ダラボン 2010 ★

体調を崩したことと、数日前に「ワールド・ウォー Z」を見て久々に「ゾンビ」の快感を覚えてしまったことで、数年前からやたらと流行っているアメリカのゾンビ・ドラマに手を出すことになる。

妻からは「そうやってすぐひきこもる」と詰られながら、同じパターンで押し寄せてくるゾンビ達に続々しながらついつい何話も見続ける。

そこで思うのは同じ質問。

「ゾンビの何が怖いのか?」

決して動きが速いわけでもない。
頭が良い訳でもなさそうである。
それなのに、なぜ捕まってしまうのだろう?
ウイルスによって力がもの凄く強くなるのだろうか?

なぜ?
なぜゾンビが現れる街では、車がひっくり返っているのだろう?
誰がやったのだろうか?
なんで戦車が放置されているのだろうか?
圧倒的な量ということと、一部を破壊しないと死なないという特性以外は、それといって特別な生物ではないように思われるゾンビ達。それに軍隊もやられてしまうのか?

そんなことに気が付くまでにすでにシーズン3まで来てしまった・・・
そしてそんな質問が頭の中で響きあうということは、すでにゾンビへの興味がなくなったということであろう。

そこにたどり着くまでに、随分無駄にした計算になる。結局同じパターンの繰り返しである、このようなドラマ。これを見ることで自分の人生にとって何かしらプラスの意味があるのかどうか。そんなことを考えてしまう時点ですでに動画を再生する気はすでにない。

このような娯楽映像。「今」は何もしなくても目に入ってきて刺激を与えてくれて、面白いかもしれないが、結局のところ何も残らない。しかし、それでも見続けてしまうのが堕落する生物である人間。本当に危険である。

「危ない危ない」と言ってIpadを閉じて寝室から出ていくと、

「ゾンビ死んだの?」と聞いてくる妻。

やはりこっちで「今」を生きなければと思わずにいられない。


成熟社会としてのパラリンピック

ソチ・パラリンピックでの日本人選手の活躍ぶりがテレビを賑わす。オリンピックの閉会式後、また別のスポーツの世界を見せてくれるこのパラリンピック。それを見てふと思う。

ソチ・オリンピック  参加国・地域数 83ヶ国+5地域(88地域)
ソチ・パラリンピック 参加国・地域数 45ヶ国

オリンピックに比べて約半数の国がパラリンピックに参加している。
そこでパラリンピックでのメダル獲得国を見てみる。

1 ロシア
2 ドイツ
3 カナダ
4 ウクライナ
5 フランス
6 スロバキア
7 日本
8 アメリカ合衆国
9 オーストリア
10 イギリス
11 ノルウェー、スウェーデン
13 スペイン
14 オランダ、スイス
16 フィンランド、ニュージーランド
18 ベラルーシ
19 オーストラリア


約半数という数字をどうみるかだが、恐らくパラリンピックに参加できるような選手をサポートするためには、選手個人の周囲および、社会自体がよっぽど成熟していないと無理なのではと想像する。

障害を負った選手が、モチベーションを保ちながら、国際レベルで通用するための訓練をすることは、通常の選手が練習をするのとは全く違ったレベルのことであろう。そのために周囲の理解、そしてサポート。時間もお金も相当に必要となってくることであろう。

それを所属する組織や会社、もしくは個人がすべてを負担するのは不可能に違いない。スポンサーや国の大いなるサポートがあってのことだと想像する。

生活を支え、なおかつ競技を続けることを支えていける社会。恐らく経済が行き詰まり、閉塞感に包まれた社会では、恐らく障碍者スポーツを維持していくことはかなり厳しいのだと思わずにいられない。そう考えると、生きにくいと言われがちな日本の成熟した社会のレベルが、今回のパラリンピックを見てその基礎の厚さを証明しているかのように思われる。