2014年2月2日日曜日

出雲大社(いずもおおやしろ/いずもたいしゃ) 神代 ★★★★


--------------------------------------------------------
所在地 島根県出雲市大社町杵築東
主祭神 大国主大神
様式  大社造
社格  式内社(名神大)、出雲国一宮、官幣大社、勅祭社
創建  神代
別名  杵築大社(きづきたいしゃ)
機能  寺社
--------------------------------------------------------

今回の旅の最大の目的地である、出雲大社。正式名称は「いずもおおやしろ」と言うが、やはり「いずもたいしゃ」の呼び名の方がしっくりくる感は否めない。

昨年の2013年に行われた式年遷宮。遷宮の翌年には世間が明るくなる「おかげ年」であり、その年に参拝する「おかげ参り」は大変ご利益が上がると言われているお伊勢参りから始まった風習は、同じく出雲大社でも有効らしく、60年ぶりに新しくなった本殿目当てに多くの観光客が訪れている。

その観光客を飲み込むかのように境内左手に位置する広大な駐車場。ここが無料なのも大らかな出雲大社の特徴なのかと思わずにいられない。

何と言っても神々の国の首都である出雲の地。その中心となるのがこの出雲大社。言わずも知れた10月の別称である神無月(かんなづき)に、日本全国から八百万の神々(やおよろずのかみ)がこの地に集まり、神議(かむはかり)を行う場所である。もちろんほとんどの場所ではその地の神様が留守をするので神無月となるが、逆にこの出雲の地では多くの神が集まってくるので、神在月(かみありづき)と呼ばれるという。

ではその「神議(かむはかり)」は何を決めるのかというと、「この男性とこの女性を出会わそう」だとか、「この人の仕事のために、こういう人を出会わそう」などという「人の世の縁」をを神様が決めるという。

主祭神である、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)が天照大神(あまてらすおおみかみ)に国譲りをした際に発した言葉、「幽れたる神事を治めましょう」の中の「幽れたる神事」が目に見えない「縁」を結ぶことにあたり、「世の中すべてのものが幸せであるように縁が結ばれる」と解釈されるため、この出雲大社が良縁にご利益あり、つまり日本最大級の縁結びのご利益がある言われているという。そんな訳で境内には多くの女性の参拝客が多く見られる神社である。

本来なら出雲駅から北に向かい、参道に用意された異なる素材で作られた4本の鳥居、手前から出雲大社の代名詞でもある高さ23mの大鳥居。「石」の鳥居と言われるが鉄筋コンクリート製。そして2つ目が木の鳥居。3つ目が鉄の鳥居で、4つ目が青銅の鳥居。これらの鳥居を順にくぐり気持ちを落ち着かせるのが正しいのだろうが、駐車場から一の鳥居に向かうのは相当な距離になるので、駐車場から北に向かって逆周りに参拝を始めることにする。

まず左手に見えてくるのは祖霊社(それいしゃ)。ここでは葬儀などがとり行われるという。まっすぐ北に進むと突き当たりに見えるのが、立派なしめ縄を掲げたお屋敷の門。ここは出雲国造千家館(いずもこくそうせんげかん)と呼ばれ、出雲大社の宮司に当たる出雲国造の千家家の屋敷である。

この出雲国造は1340年頃に千家氏(せんげし)と北島氏(きたじまし)の二氏に分かれることになったそうだが、その祖先は天穂日命(アメノホヒモミコト)とされ、かの天照大神(アマテラスオオミカミ)の第二子であるとされる、とにかく凄い家系という訳である。

道を東に進むと北にドーンと開けた境内が見えてくる。白砂利で敷き詰められ、太陽を反射し雪山の様に少々眩しい先に見えるのは神楽殿(かぐらでん)。出雲大社の代名詞とも言える4.5トンの大しめ縄を掲げる社殿である。二拝四拍手一拝の出雲大社独特の作法で参拝をし、出雲大社にやってきたんだという気持ちが高まる。

川を渡って本殿の境内に足を踏み入れる。するといきなり右手の茂みの中に、マヤの遺跡のように姿を現すのが、菊竹清訓設計による出雲大社庁の舎。コンクリート造だが、既に50年近い月日を経てすっかり周囲の自然に溶け込んでいる様子である。

本殿正面に回り、その前に立つ八足門(やつあしもん)を正面に据える。本殿にはは入れないので、ここから参拝することになる場所である。目に飛び込んでくる足元の3つの丸は昔の巨大柱の跡だと言われているという。

再度西側に回り、瑞垣(みずがき)を巡っていくと、左手に随分長い社が見えてくる。西十九社(じゅうくしゃ)。これは本殿を挟んで東西両側に設けられている社だが、神在祭の間(旧暦10/11~17)にこの出雲の地に集まる全国の神々、八百万の神々(やおよろずのかみ)がその期間中に宿泊する宿所となる社という。思わず「なるほど」と唸ってしまう。

その西十九社のすぐ北には氏社(うじのやしろ)が二つ並んで立っており、北側は天穂日命(あめのほひのみこと)を祀っている。先ほど出てきた、出雲国造の先祖である神様である。南側は宮向宿禰(みやむきのすくね)を祀っており、宮向宿禰は天穂日命より十七代目の裔で出雲臣の姓を賜ったと言う。

さらに北に進むと瑞垣の中に小さな社である筑紫社(つくしのやしろ)が見えてくる。ここには主祭神である大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)の奥さんである多紀理比売命(たぎりひめのみこと)が祀られており、この多紀理比売命が筑紫(福岡県)の宗像神社でも祀られている為に、筑紫と出雲の深い関係を感じることが出来る社である。

ちなみにこの筑紫社の逆側、つまり東側には、てっきり左右対称で同じ型の社が立っていると思ってしまいがちだが、微妙に左右対称、シンメトリーを外してくるのが日本の神社。東側にあるのは御向社(みむかいのやしろ)と天前社(あまさきのやしろ)で、御向社は大国主大神の正后である須勢理比売命(すせりひめのみこと)を祀り、天前社は大国主大神を治療して助けられた蚶貝比売命(きさがいひめのみこと)と蛤貝比売命(うむがいひめのみこと)を祀っているという。

更に北に進んでいくと、突き当たりに見えるのが彰古館(しょうこかん)といわれる建物で出雲大社に伝わる各種資料が陳列・展示してあるという。その横、つまり本殿の北側に位置するのが、素戔鳴尊(すさのおのみこと)祀る素鵞社(そがのやしろ)で、後ろに控えご神体として崇められている八雲山からパワーを受け取るかのように鎮座している。出雲大社は神仏習合の影響下で鎌倉時代からこの山の向こう側に建立された天台宗の鰐淵寺とは深い関係を持ち続け、鰐淵寺は出雲大社の神宮寺も兼ねたという。

神宮寺とは神仏習合思想に基づいて神社に附属して建てられた仏教寺院や仏堂であり、別当寺や宮寺とも呼ばれる寺院である。

この素鵞社から南を見ると、瑞垣の向こうに本殿を一番近く見ることが出来る。高さ8丈(24m)で日本の神社で最大といわれる本殿。もちろん妻入りで九本の柱を田の字型に並べ「大社造」である。

今度は本殿の東側を瑞垣沿いに歩き、東十九社などを参拝し境内正面へと戻って来る。目の前にはこちらも菊竹清訓設計による2階に宝物館神祜殿(しんこでん)が見えてくる。正面に戻り、こちらも大きなしめ縄が特徴的な拝殿にて参拝をし、そのまま境内の入り口に立つ長州の毛利綱広が寄進したといわれる青銅の第四の鳥居をくぐって参道へと歩いていく。

全国的にも珍しいといわれる下り坂になっている参道を戻りながら、中心に伸びる松の参道と左右に散らばる様々な神話にまつわる彫刻物などを眺めていく。松の参道を挟んで西側には、有名「因幡の白兎」の一部が描かれ、東側には幸魂奇魂像(くしみたま)と言われる、大国主大神を幸魂奇魂が助けられた神話の様子が描かれる。

ちなみに様々な縁を結ぶ神として様々な参拝客を惹きつける出雲大社であるが、美保関にある「美保神社」は、出雲大社と両参りをすれば縁結びの効果がさらに増すと言われているという。


明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった出雲大社。現在も、皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けている長い歴史を受け継ぐ神々の首都の中心地。広大な自然の力を一杯に受け、山を越えた北側の厳しい日本海沿いの気候から守られたこの場所の力を古代の人が敏感に感じ取り、この地に神々の社を築いてきたのが良く感じ取れる日本有数の巨大な神域。多くの観光客をひきつける為に参道周辺はかなり観光地化されているとはいっても、現代社会の中心地からの地理的距離も助けとなってか、まだまだ古代の時間を感じられる素晴らしい神域空間が残る日本有数の場所であるのは間違いないだろう。

祖霊社(それいしゃ)
出雲国造千家館(いずもこくそうせんげかん)
神楽殿(かぐらでん)

神楽殿(かぐらでん)
大しめ縄





西十九社(じゅうくしゃ)


御本殿

八足門(やつあしもん)

筑紫社
彰古館(しょうこかん)


東十九社



拝殿
神祜殿(しんこでん)
手水舎
四の鳥居(青銅)

幸魂奇魂像(くしみたま)

松の参道
松の参道

二の鳥居(木)
一の鳥居



0 件のコメント: