2014年2月1日土曜日

神魂神社(かもすじんじゃ) 平安時代 ★★★★


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所在地 島根県松江市大庭町
主祭神 伊弉冊(イザナミ)、伊弉諾(イザナギ)
様式  大社造
社格  旧県社、意宇六社
創建  平安時代
機能  寺社
文化財 本殿(国宝)
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八重垣神社からさらに西に走ると、「八雲立つ風土記の丘」といういかにもハコモノ建築的な雰囲気を漂わせる案内板が見えてくる。

調べてみると「風土記の丘」というのは、文化庁によって推進されたプロジェクトで、日本全国の遺跡や歴史資料の保存の為に設置された野外博物館と公園の施設を総称し、現在では全国に17の風土記の丘が設置されており、この「八雲立つ風土記の丘」はその中でも6番目に作られたものであるという。

山陰の地を廻っているといたるところで「風土記に既に載っていたから・・・」という言葉を耳にする。古事記や日本書紀ではなく風土記。調べてみると風土記(ふどき)とは、一般的に奈良時代に各地方の文化風土などの情報を編纂し天皇に献上したものらしく、この地では出雲国風土記(いずものくにふどき)がそれにあたり、完成したのは733年で聖武天皇に奏上されたという。

つまりはこの地ではこの出雲国風土記に名前が出てくる神社は相当な格式の神社だということになる。そんな訳で興味をそそられながらもまずは神社だということで先を進むとすぐに神魂神社の駐車場へ辿りつく。

この神魂神社(かもすじんじゃ)。漢字を見てもどうやってもその読み方は分からないことから既に相当な神社だろうと勝手に想像する。もちろん先程の2社同様、意宇六社(おうろくしゃ)の一つであり、駐車場脇にある二の鳥居からその前に広がる田園に伸びる参道がすでのその格の高さを物語っている。

視界の先にうっすらと見える一の鳥居。時間の関係でそこから参道を歩くことは出来なかったが、一の鳥居から歩いてくると道のある左には灯篭が並べられ、右手に広がる田園風景には桜が等間隔に並べられ、さぞや春には美しい風景を作り出すのだろうと想像する。

そしてこの二の鳥居をくぐると始まる石階段。今度は左手には等間隔に年月を感じさせる立派な杉の木が等間隔に並び、右手には山の傾斜と石垣。上空で遮られた日の光がうっすらと降りてくる柔らかな光の中で石で整備された階段を上がっていく。なんとも心地よい。

神社を訪れる時に何を持ってその評価をしているかと自分に問いかけてみると恐らく下記の5つではないかと思われる。

参道、つまりアプローチ空間
階段、つまり地形との関係性
聖域感、つまり周囲の環境の読み取り、
神木、つまり場の持つ自然の力、
境内空間、つまり建築の形態と配置計画

それぞれのポイントにおいて秀逸な空間を見せてくれる神社があるが、参道に関して印象に残っているのはこれらの神社だが、恐らく、ここの参道はこれらの神社に勝るとも劣らない素晴らしいものであろうと思いながら先を進む。階段を上がりながら左の杉の足元を眺めると、円形に石で足元を囲ってあるのに気がつく。なかなか珍しい気配りに感心しながら先を進むと、

暫くすると右手に見えてくる御手洗(みたらし)。その右には急勾配の石階段にその上にちょっぴり社殿が覗いている。そして目の前には更に続く参道が。つまりは急な階段を行く男坂と、緩くて長い道のりを行く女坂という二手に分かられる参道である。東京の湯島天神や、戸隠神社の中社、高山の日枝神社にも見られた形式で、急勾配に鎮座し、しかも横に緩やかな傾斜も取れる場所にある神社だけに限られる参道形式である。

もちろん男坂を選びなかなかの急勾配の石段を登り切る。するとすぐ目の前に社殿がドーンと聳えている。

聳えている。一見して、歴史的にも価値がありそうな建物で、威圧感があたりに漂よっているのを感じる。圧倒的な存在感のこの本殿はもちろん大社造であるが、なんと出雲大社よりも古く、現存する大社造の神社の中では最も古いものとされ、国宝にも指定されている大変貴重なものであるという。

その存在感が境内を支配し、周囲の自然と見事に融和しなんともいえない聖域感を醸し出す。とても素晴らしい空間である。

伝説を紐解くと、この神社を作ったのは天穂日命(アメノホヒモミコト)と言われ、かの天照大神(アマテラスオオミカミ)の第二子である。ちなみに何人の子がいたかというと、以下の五柱の神である。

天忍穂耳命(アメノオシホミミ)
天穂日命(アメノホヒモミコト)
天津彦根命(アマツヒコネ)
活津彦根命(イクツヒコネ)
熊野櫲樟日命(クマノクスビ)

では天照大神(アマテラスオオミカミ)は誰の子かと言うと、伊弉諾尊(イザナギ)・伊弉冉尊(イザナミ)の子であり、この両親からは天照大神(天を治める)・月読命(ツクヨミ)(夜を治める)・素戔嗚尊(スサノオ)(海を治める)という訳になるのだが、複雑になるのでここら辺で止めておく。

つまりは国譲りの使者として高天原から大国主命(オオクニヌシノミコト)のもとにやってきた天穂日命が、出雲の守護神として伊弉冉尊(イザナミ)を祀ったのがこの神魂神社の始まりであるという。そしてこの天穂日命は出雲大社の最高の神官である「出雲国造」の祖先であるというすごい家系と言う訳である。

主祭神は伊弉冊(イザナミ)であり、女神であるので、本殿の屋根の上に飛び出ている千木(ちぎ)の先端が水平に切ってあるという。逆に、男神である大国主命(オオクニヌシノミコト)を主祭神とする出雲大社では、その千木の先端が垂直に切ってあるという。このことを妻に説明したら、「前に伊勢神宮のところで説明されたよ」とあっけなく返される・・・

真名井神社でもあったが、この神社の神紋にも「有」という字が使われており、その理由は神様が集まる神在月(かみありづき)の十月の字の十と月を合わせたものといわれているらしい。真名井神社で分からなかった謎がここで解けたことになる。

もう一つこの神社の名である「神魂」と書いて「かもす」だが、ある説によると、「神霊の鎮まり坐す所」つまり神坐所(かみますどころ)が「かんます」となり、それが「かもす」となったといわれているらしい。

兎にも角にも長い歴史があり、そこから様々な物語の舞台となったのが頷けるトップクラスの神社であるのは間違いないが、流石にこれだけのことをブログに纏めるとなると一日に一つも書けなくなるのはしょうがない。



















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