2014年2月10日月曜日

「下町ロケット」 池井戸潤 2010 ★★★

----------------------------------------------------------
第145回(平成23年度上半期) 直木賞受賞
第24回山本周五郎賞候補
----------------------------------------------------------
情熱も技能もあり、中小企業でモノづくりに励んでいる熱い思いを持った技術者である主人公。そこに規模がすべてだと言わんばかりに、上から目線で指をつっこんでくる大企業。モノづくりの魂を忘れ、ただただ企業での出世争い、大企業に属しているだけで自らが偉くなったかのように振舞う悪者に、不器用ながらしっかりとしたプロフェッショナリズムを持ち、情熱とチームワークで立ち向かう。

そんな小説こそがこの作家の真骨頂だと思われる。直木賞受賞したためになかなか文庫版が発売されず、やっと書店に並んだ文庫を手にとりページをめくると、まさにそのストーリー。久々にアマゾンとブックオフではなく、書店で手にした文庫だけあり、あっという間に読みきってしまう。

何年か前に、友人の丸若屋の丸若君に頼まれて日本屈指のへら絞りの技術を持つという北嶋絞製作所さんと一緒になって、真球の形をしたアルミ製の弁当箱を作るというので、ちょこっと手伝いをしていた折に、「大田区の技術は凄いから、ぜひ見てください」と言われ打合せに同行した工場では、H2ロケットの先端部品など機械では最後の微妙な調整が行えず、数ミリ以下の調整を最後は職人の手作業で行うなどと教えてもらう。

Around the bento box project

北嶋絞製作所

恐らくこの小説のモデルになったのではと思えるような、技術をとことん信じて、その中でイノベーションをおこして行く日本のモノづくりの現場。

本書の中でも出てくる言葉

「いったん楽なほうへ行っちまったら、ばかばかしくてモノ作りなんかやってられなくなっちまう」

そんなことをきっと何度も何度も繰り返しながらも、それでもモノに向き合うことで前へ前へと進んで来たに違いない。そんなことを思い出しながら読み進めることができた。

しかしどんなに優秀で、どんなに真面目な技術者でも、自分で事業を持つようになるとどうしても経営者としての側面も持たなければいけなくなる。会社としての将来を見据えた自分の想いと、それとは別に毎日の生活を抱えた社員の思い。十年先の発展への投資か、それとも確実な数年先の利益か。その狭間で何の為に生きているのか分からなくなりつつも、投げ出す事ができない責任を抱えあんがら生きていく。

そして一歩会社をでれば、社会の中で別の役割も担っていかなければいけない。家庭に戻れば、仕事の大変さなど関係無しに、父親の役割をしなければいけないし、仕事のストレスで一杯一杯にも拘らず、子供の世話をしなければいけない。

契約打ち切り、特許侵害の訴訟、資金繰り、特許の買取の商談、社内の調整、家庭のごたごた。

毎日降ってくるのは問題だらけ。それぞれにそれぞれの関係者がいて、皆が皆その問題の当事者として必死に立ち向かってくる。それを全部一人で当事者として受け止めなければ行けない。「何で俺だけ、こんなにやらなければ、苦しまなければいけないんだ・・・」と思いながらも、「もうやってられない」と放り出しても誰か他の人が代わりにやってくれたり、やれたりすることでもない。

それが自分が選んだ生き方であるから。

建築なんていう、「問題をどう解決するか?」が9割の世界で日常を過ごしていると、まさに同じような気持ちで日常を過ごすことになる。一日にいくつもの問題の解決策を検討し、考えて、調整し、それでもうまくいかなくての繰り返し。

「わーーーーー」と叫びたくなる気持ちだろうなと相当に感情移入しながら読み進めるが、作者の作品にありがちな、登場人物の専門的能力が相当優れているとポイントに毎回驚かされる。日本では同い年の社会人がそれぞれの分野で、これだけ専門知識を理解し、それをフルに活用できるだけのネットワークを持ち、そして実現させる為の行動力を持っているのに毎回、背筋が伸びる気持ちにさせられる。

恐らく日本中の会社員が皆、このように熱い思いをもって仕事に向き合い、毎日、毎月、毎年、職業的向上を成し遂げながら、プロフェッショナルとして知識や経験だけでなく、それをどう実現させるかという社会的能力も向上させるような日常を送っているかといえば決してそうではなく、ほとんどの人間が楽な方に、少しでも楽をして稼げる方にと流れていってしまっているだろうと想像する。

そんな流れの中だからこそ、小説の中でも自らの背筋を伸ばしてくれる、緊張感を与えてくれ、自分の過ごしている日常を振り替えさせる優秀な人物にである事はとても重要な事であろう。いつの日にか自分達の建築が、同じように関係の無い世界の誰かが、専門的な価値を理解するのではなく、そこに注がれた情熱とエネルギーを感じ取り、日常の過ごし方の緊張感を感じる、そんな事ができたらきっとその建築は社会に受け入れられるのだろうと想像を膨らませる。

0 件のコメント: