2014年2月2日日曜日

島根県立出雲歴史博物館 槇文彦 2007 ★★


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所在地  島根県出雲市大社町杵築東
設計   槇文彦
竣工   2007
機能   博物館
敷地面積 56492㎡
建築面積 9445㎡
延床面積 11855㎡
階数   地上3階 地下1階
構造種別 RC造、S造
施工   大林組・中筋組・岩成工業JV他
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出雲大社の長い長い参道の途中で東に抜けていくと視界に飛び込んでくるのは、ポッカリと開けた中にスクッと立ち上がる赤茶色の箱とそこから伸びる透明な箱。

これが2013年にザハ・ハディド設計による新国立競技場の建設計画に対して、周辺のコンテクストに対してその規模が余りにも不適当だと問題提示し、国会でも話し合われるほどの社会問題まで発展した発起人である槇文彦氏設計による島根県立出雲歴史博物館。

言わずも知れた日本建築界きっての良識の建築家であり、その品の良さは作品でも十分に感じ取れる事ができる。この博物館は出雲周辺で出土した古代の土器などの発掘品を展示する博物館である。

この博物館が凄いのは設計に関わった豪華メンバー達。

建築:槇総合計画事務所(槇文彦)
ランドスケープ:オンサイト計画設計事務所
家具:藤江和子アトリエ
ロゴ:キジュウロウヤハギ(矢萩喜従郎)

建築の槇文彦氏。今年も坂茂氏(ばんしげる)が日本人として昨年の伊東豊雄氏に続き二年連続の受賞を果たした プリツカー賞。建築界のノーベル賞とも言えるこの賞を1993年に既に受賞している世界的建築家。

1960年 名古屋大学豊田講堂(32歳)
1969年 代官山集合住宅(ヒルサイドテラス)第1期(41歳)
1973年 代官山集合住宅(ヒルサイドテラス)第2期(44歳)
1985年 スパイラル(57歳)
1989年 テピア(61歳)
1989年 幕張メッセ(61歳)
1990年 東京体育館(62歳)
1997年 風の丘葬斎場(69歳)
2003年 テレビ朝日(75歳)
2007年 島根県立古代出雲歴史博物館(79歳)
2013年 フォー・ワールド・トレード・センター(85歳)

定期的に上質の代表作と呼べる建築を作り続け、「自らの最高傑作は事務所だ」と言い切るくらい、どのプロジェクトも変わらぬ質を見せてくれる。建築だけでなく、アカデミズムの世界でも、定期的に重要な著書を刊行している。

「見えがくれする都市」(鹿島出版会 / 1980) 
「記憶の形象」(筑摩書房 / 1992)
「漂うモダニズム」(左右社 / 2013)

プロポーションからディテールまで、建築に関わるものならば全てが学ぶ対象となる建築家であろう。


ランドスケープを担当したのは日本を代表するランドスケープ・デザイン・オフィスである、オンサイト計画設計事務所。代表の長谷川浩己氏と三谷徹氏に導かれ、環境と調和し日本の気候に適したなんとも心地よい室外空間、ランドスケープを作り出す。

星のや 京都、星のや 軽井沢、ハルニレテラスと、星野リゾートの多くの作品を手がけると同時に、東雲CODAN ランドスケープや風の丘など、国内を代表する建築家との共同も良く見られる。いつか仕事を一緒にしたいと思っているオフィスである。

家具設計を担当したのは、藤江和子アトリエ。 こちらも現代日本を代表する家具デザイナーである。多摩美術大学図書館座・高円寺では伊東豊雄氏と共同し、槇文彦氏とはテレビ朝日新本社屋でも共同するなど、有名建築家からの指名が多いようである。

他にも、かつて見かけて気になっていた青山通りのオフィス・ロビーにある椅子も、藤江和子氏の設計によるものだという。こちらも是非、いつか共同をしてみたいものである。

そしてロゴ・デザイン。建築に関わるものなら、それが公共性を持つプロジェクトであればどこかのタイミングで、ロゴをデザインするグラフィック・デザイナーとの共同が必要になるということを実務を開始してから理解する事になる。そしてこの作品でそのロゴを担当したのが、キジュウロウ・ヤハギ(矢萩喜従郎) 。「平面 空間 身体」、「空間 建築 身体」、「建築 触媒 身体」などの著作でも知られるデザイナーである。

そんな訳で「間違いない」と言えるメンバーでの何とも贅沢な競演。個性の強いデザイナーが集まればそれを取りまとめるのに相当な手腕とリーダーシップが必要になるが、恐らくこの面々ならば周囲の空気を読みながら素晴らしい結果を出していったのではと勝手に想像する。

さて、遠回りしたが本題の建築。本来のアプローチは南側に設けられており、オンサイト設計によるゆったりしたアプローチを歩きながらメインの建物沿いに進み、受け止めるかのように突き出たガラスのメインエントランスにたどり着くという事だと思うが、きっと多くの人はまずは出雲大社に参拝し、帰り道に境内から脇に抜けて入り口に到着するというシナリオだろう。

そんな訳で、コールテン鋼で覆われた赤茶色のメインの背の高いボリュームが後ろに控え、そこからやや背の低い縦長のガラスのボリュームが突き出しているT字型の構成に対し、ガラスのボリュームに沿うようにしてエントランスにたどり着く。

このコールテン鋼だが、鋼表面を元々錆させておき、その錆のお陰で内部まで腐食が起こらないようにして耐久性を高めた鋼材の呼称であり、表面に施された錆が茶褐色で美しいので建築家によって多用される素材である。

建築の実務を始めた頃は、その響きの良さと、いかにもプロっぽい名称のせいで、「ああ、コールテン鋼ね」なんて口にしたがるものであるが、実際に使う経験を持つ建築家はそうそう多くは無いのだろうと想像する。

左手のガラスのボックスを良く見ると、ロールカーテンが下ろされているのかと思っていたところが、ガラス内部にポリカーボネートが張られている様子。これは真ん中に空気層をもったプラスチック素材であり、その空気層のお陰でペアガラスの様に断熱性の高い素材である。

透過性はありながらも断熱性が高く、しかも完全に透明ではなくうっすらと内部がぼやけるこの素材が、透明なガラス面の内側に張られていること。そしてこの面が南を向いていることから想像すると、カフェやミュージアム・ショップとして利用するガラス張りの空間が、思ったよりも直射日光を受けて熱くなり、空調で対応できるレベルではなく遮光する必要に迫られ、建築家に相談することなく現場での対応としてこのポリカーボネートが張られたのだろう。

それほど予測が難しいのが、熱、風、光、太陽高度、湿度といった目に見えないが建築に大きく影響する様々な要素達。建築家が多くの犠牲を払いながら、少しでも良い建築を世に送り出そうと設計をした結果、それでも使い手からみれば不具合が出る事ももちろんあるだろう。それでも、その建築家への尊敬からか建築家には文句を言うことなく、自分達でできる事を試みて少しでも快適さを向上させようとした痕跡が感じられる。

更に先に進み、角度によって様々な表情を見せるコールテン鋼が張られたエントランスを回り込み、3層吹き抜けとなったエントランス・ロビーに入っていく。チケットを購入し、各展示室でかつての出雲大社や日本各地の寺社建築の模型などを楽しみ上階へ上がってブリッジよりカフェへと出て行く。

温められた空気は上に上がる。というのを身をもって体験できるように、2月でも気持ちのより日差しが降り注ぐ日であったから、ガラスボックスで温められた空気がこのブリッジ付近に上がってきて、下にいた時よりも数度ほど温かい空気の中を進んでいく。

ブリッジから下を除くと、下のミュージアムショップの上に簡易な屋根が設置され、上からの落下物防止を図っている様子。確かに上から何か落としたら結構危ないかもと思いながら、「これも実際に使ってみてはじめて見えてくる問題だろう」と悩ましく思いながら階段をおり、この博物館で一番心地いいと思われる長いアプローチ空間を歩いていく事にする。
















































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