2013年7月17日水曜日

瞑想の森 市営斎場 伊東豊雄 2006 ★★


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所在地  岐阜県各務原市那加扇平
設計  伊東豊雄
構造 鉄筋コンクリート造、一部鉄骨造
竣工   2006
建築面積 2,269m2
延床面積 2,264m2
機能   火葬場
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なんで床は平坦じゃなければいけないのだろうか?
なんで屋根は平坦じゃなければいけないのだろうか?

これは建築の本質を突く問いであろう。

まずは屋根。傾斜がついているのは、降り注ぐ様々な外部要因、雨や雪から最近では大気汚染まで様々。それらをできるだけ建築の上にのっかっている状態ではなく、建築の外に落としてしまうようにとし、地域ごとの外部要件とその付き合い方が屋根の傾斜となって現れる。

時代が変わりコンクリートという何とも優れた素材を使いこなすようになった人類は、その工法、つまり半液体である状態を器に入れて固めるという作業より、その器を作る必要があり、その中で一番効率的で楽な方法として直線の面を作ることから生まれたフラットルーフ。通称、陸屋根(りくやね)。

凸凹のある面をつくるよりも、よっぽど平坦な面を作った方が安く、そして早くできる。当然である。そして平坦に作られた屋根に、少しだけ傾斜をつけてやる。その傾斜で降り注ぐ外部要因を重力の助けを借りてある一点に集め、そこから樋を通して外に出す。

次に床。

これはより簡単。生活するには様々な道具、つまりは家具を置かなければいけない。その家具は生活の中で買い足されたり、破棄されたりを繰り替えす市場に出回る商品であることがほとんどである。商品であることは「一般」という名を冠されて、一番標準的な状況に対応するように作られる。そしてその標準と言うのは平坦な床を持った住宅に置かれるという前提。

同じように人間が営む家庭生活のほとんどは、傾斜がついた力学的に不安定な状況よりは、力学的な法線に直角な面の上で展開されるのが好ましい。と言うわけで、屋根よりも先により平坦になっていったのがこの床。

そんな訳で高山からはるばる車を飛ばして、この各務原市もこの建築が存在しなければ恐らく一生足を運ぶこともなかっただろうなと思うような風景を眺めながら、徐々に市街地から離れていくナビに不安を覚えながら突然目の前に現れたのはこのうねる屋根。

平坦なものが効率を飛び越えてうねり始めると、空間にどんな変化が現れるのか?を身体に取り込むために向かった先である。

住宅地から離れ、工場地域を抜けてポッと風景が開けると、後ろに控える山が目に飛び込んできて、その後に手前に存在感を消し、風景に溶け込んでいるうねった屋根がやっと目に入ってくる。

中に入り係りの方に見学したい旨を尋ねると、「今は火葬中なので、見学は出来ないですが、しばらくすると終わるのでその後なら大丈夫」と、とても丁寧に対応してくださる。

そんな訳で、強くなってきた日差しの為に、車に戻っているという両親を残し、妻と二人で建物前面に広がる蓮池をぐるりと回り、外部から建築を見学しつつ、周辺を散策することにする。

あるバランスに到達しました。水が流れて、または風が吹いて、自然の地形が少しずつ変化していくのと同じことがシミュレーションの中で起こったのです。本物の地形ではないので、カの流れのシミュレーションによる変化が屋根の形状の変化として起こったわけですが、そうやって私たちの最近のプロジェクトでは、非線形の幾何学を使って、流動的な空間をつくり出すことが行われているのです。

そうしていると先ほどの係りの人が走ってきてくれて、「あと40分位で終わりますから」と伝えてくれる。なんとも親切な人だと思いながら、御礼を伝えて更にぐるりとすることに。

火葬場という日常の外にある都市機能。少子高齢化によって、生まれる数よりも死んでいく数の方が多くなる現代日本。その中で、一日に火葬しなければいけない遺体の数もドンドン増えて、現状の施設では対応しきれなくなるのが目に見えている現代。

その中で、家族との最後の別れをし、死とどう向き合うかを考える場所。 

それを効率一辺倒で、如何に迅速に、如何に各家族が時間通りに最後のお別れを終了できるか?に陥ることなく、火葬の場が今までよりもやや日常へと距離を縮め、死を身近に感じることで、自らの生へと帰っていく場所にするための建築の在り方。

そんなことを考えながら、蓮池に映りこむうねった屋根を眺め、灰となり再度大地へと還っていく人の行く末を考える。人の一生。そしてそれすら一瞬である自然の中の時間の流れ。そんなことに向き合う場所では、人工性はできるだけ排除するのが良いのだろう。

墓地のほうに回ると見えてくるうねった屋根のうねった曲面。屋根の窪んだ部分を支える柱の中に雨水処理の樋が入っているらしいのだが、これだけ自然の中に位置する建築でも一枚の落ち葉も見えないということは、毎日どころか数時間毎に屋根に登っては掃き清めているのかと想像する。

下から見上げると、屋根端部をできるだけシンプルに処理をするために少々の雨だれ痕が残ってしまうが、これが残る事が分かった上で、それでも樋などをつけることを拒否し、頑なに一枚の面という表情を選んだその意思に感服する。

こんな環境で家族との最後の時を過ごせるのは、とても幸せなことなんだろうと思いながら、次の場所へと足を向けることにする。

















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