2013年7月19日金曜日

慈光院(じこういん) 1663 ★★★★


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所在地 奈良県大和郡山市小泉町
山号  円通山
宗派  臨済宗大徳寺派
創建   1663
開基   片桐石見守貞昌(石州)
別称  茶の湯の寺
機能   寺社
文化財 書院・茶室(国の重要文化財),庭園(国の名勝)
拝観時間 午前9時-午後5時
拝観料 1,000円
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日本の建築空間掲載
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参拝時間が終わる夕方の17時までの時間が刻々と少なくなっていく一方、予定していた立ち寄り地のリストは一向に消されること無く残っている。

「さて、困ったな・・・」と思いながら、リストの中から優先順位を決定させなければいけない。雑誌でその書院からの眺める庭園の写真を見たときに、なんとしてもここには足を運びたいと思っていただけあって、リストの中から最優先で選ばれたこの寺院。

薬師寺駐車場から電話し何時まで参拝可能かを確認すると、「是非いらして下さい。」となんともおっとりした返答から、とてもいい感じを受ける。

うっかり行き過ぎた道を引き返し、横道から坂を上がって急で狭い道を登りきってたどり着く駐車場。そこから苔むすアプローチを折れて入口へ。

メガ寺が続いた後なので、この様な身体スケールで家族の匂いが感じられる建物の雰囲気にホッとする。参拝料をお支払いし、その中に含まれるという抹茶をすぐに出してくれるというので、上の間に正座をし、庭園を眺めて待たせていただく。

抹茶、茶菓、懐紙(かいし)をお盆に載せて持ってきてくださる奥さんが「今日はちょうどお庭のサツキを手入れしてもらったとこなんですよ。綺麗にしていただいて庭も喜んでおりますわ。よく見ていってやって下さい」とその人柄が滲み出るような言葉をかけてくださる。

なんでもこの慈光院(じこういん)は、奈良には珍しい臨済宗の寺院。つまり禅宗のお寺である。先ほどまで見てきたように、奈良には平安京遷都以後に生み出された平安仏教や鎌倉仏教ではなく、奈良仏教の古刹が多い。必然的に鎌倉仏教に属する禅宗系の寺は少なくなる。

では何故?というのも、1663年に片桐石州なる人物が自らの父親の菩提寺として建立したのがこのお寺。そしてこの片桐石州なる人物こそが水戸光圀などに茶の湯を指導し「茶道石州流」の開祖となる茶の湯の名人。京都「大徳寺」や奈良の「當麻寺(当麻寺)中之坊」の茶室も作っているという。

その片桐石州が、京都も江戸もすべて見尽くした後に、自らの知識と経験をふんだんに発揮し、寺自体を一つの茶室として作り上げたのがこの慈光院。京都の雰囲気を出す禅寺らしい庭園は緻密に計算され設計されており、参道から敷き詰めてある石にも奈良から飛んで京都に降り立ったような気持ちにさせてくれる。

どこに座って何を見るのかがはっきりと意識されている書院と庭の関係性。禅寺に良く見られる枯山水を使うことなく、丁寧に配置を練られた植栽に向かって、わざと低くされていると言う室内の天井と鴨居によってコントロールされた視線が抜けていく。

「遠くに見えるのが春日山なんですよ」

と説明してくださるように、奈良盆地のはるか向こうに山々が見えている。その風景に目が行けば行くほど、建築の中にいるのに、建築が見えてこず、風景を切り取るフレームとして成立している。主役はあくまで外部空間であり、何を見せるために、何処に柱を置くのか、その細さとプロポーションがとても意識されているように感じる。

美しい庭園を眺めながらふと思うのは、こういう庭園は建築よりもよっぽど綺麗にしておくには手間がかかる。毎日落ちる葉を掃き、水をやり、枯れた枝を落としてやる。その手間がかかってないと、それはすぐにノイズとして風景に反映される。美しい風景を維持できる人がいるから、庭園が美しいのだと再確認する。

外からの写真でも分かるように、この上の間、長押が省かれ鴨居が独立して障子を支え、そこまでして軽い表情を作ろうとしているのが良く分かる。もちろんこの様な天気の良い日は障子を外して外部との関係をより高めているのだが、縁側の奥行きなどやはり粋な茶人が設計した空間というのがよく伝わってくる。

この片桐石州は石州流茶道の祖でもあるのと同時に、小泉藩主でもあった。その為に、入口に二手に分かれる道があり、「こちらがお殿様用、あちらが家来の方用だったみたいですよ」と奥さんが教えてくれるように、時に自分の設計したこの寺に足を運んでは、この風景を見ながらお茶を立てていたのだろうと想像するとなんだかタイム・トラベルしたような気分になり、風景も違って見えてくるから不思議なものだ。

基本的にせっかちに、チャッチャッと参拝を繰り返す自分だが、流石にこの空間はそんな簡単に去りがたく、他に参拝者がいないのをいいことに、一人書院から眺める庭園の眺望を独占し、どっぷりと空間に身を浸すことにする。











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