2013年5月7日火曜日

若気の至りとかっこいいと思うこと

昨日の田村先生との話の中で、

なぜ今の若者が海外に行きたいと思わないのか?
なぜ日本よりも進んだ場所で、進んで学問を学んで経験を積みたいと思わないのか?
なぜよりより生活ができる場所があるのかと想像しないのか?

そんな内容が多くでた。
それについて考える。
なぜだろう?

まずはよく言われる言葉の壁。こんなものは真剣に勉強すれば半年ほどでどうにか生活できるレベルに到達し、あとは苦しみながら生活をし、仕事をしていく中でより見につけれるものであるのでなんの言い訳にもならない。

ではその異なる環境に飛び込むことに伴う苦しみ。言葉もそうだが、生活慣習の違う世界での生活は何かとスムースには進まない。しかも日本の様にサービスが過剰に行き届いているところでは、何もしないうちに誰かがやってくれたりしているから、そのギャップといったらとても大きくなってしまう。しかし人間は慣れる生き物であり、常に日本に視線を送り、比較することで時間を過ごさなければ、こんなのは数ヶ月もするうちに慣れてくる。素晴らしきかな人間の本能。

その次に、別に海外に行かなくても、日本に留まりながらそこそこの生活がおくれてしまうという事実。仕事を見つけるといっても、それは済んでいる都市、もしくは近くの大都市と日本という国が世界の全てになってしまう。また日本に居る限り、外国人よりも日本人であるだけで仕事の上でメリットがある。なぜなら日本語が喋れて、読めて、書けて、日本の慣習も分かっているから。

しかしこれもそう長くは続かない。生産労働力が減ってきて、労働も無しに株などの金融資産によって国内の資産の大半を所有しながらも、社会に支えられて貯金に回るだけの年金を給付され続ける大量の高齢者を抱えていくのにも拘らず、消費税を上げるという目先の目標だけを見据え、20年後の国の姿はあっちのけで、その金融資産を所有する人だけが喜ぶ「気」だけの景気を推し進めるアベノミクス。

国際競争力が本当の意味で強化される訳でもなく、世界で戦える人材が育つ訳でもなく、新しい価値観が生み出されるわけでもない問題先延ばしで、貯金の食いつぶし状態。どう考えても寿命を縮めるだけである。そうして訪れる外からと内からのガスのような圧力によって爆発するかの様に起きるであろうパラダイム・シフト。

その時に純粋培養された多様性を許容できない同一染色体を持つかのような人材は、獰猛でしたたかな世界の波にあっという間に飲み込まれることは目に見える。それでもあくまでもお人よしに、世界をテレビの先の世界と捉える人々。そんな中から少しずつでも出てこなければいけない、多様性を発現する若者達。


そんな風に考えると、世間で言われることは本質的な答えになっていない様に思われる。では、何が決定的な原因をなしているのか?

そう思いながら自分が海外に渡ったときのことを考える。別にそれが正しいとか間違っていると言うわけでもないが、何が違っているのかを考える。

そう考えると圧倒的に情報量が少なくて、分からないことが多いからこそ踏み出せる若気の至りが大きくあげられる。今では何か行動を起こそうと思ったときに、まずはネットで調べて見る。そうすれば、前例がいくらでも見れるし、ブログや何やらで良い例から悪い例までいくつでも見つけることができる。そうすれば、どうしてもポジティブなことよりも、ネガティブなことに目が行ってしまう。

通常考える国内での生活を捨てて渡ることで、実はどんな大きな保障を捨てることになるのか?普通20そこそこの若者は、そんなことは考えなくていいはずなのに、ネットという無尽蔵の情報の箱のせいで、若気の至りの一歩を止めてしまう可能性が大きくなったことは否めないのではないだろうか。

そしてもう一つは「かっこいい」と思えることが減ってきたこと。間違いないが、当時の自分は、海外で色んな国の友人と建築を学ぶことが、純粋に「かっこいい」と思っていたし、その後のことやそれ以上のことはまったくといって考えていなかった。恐らくこの「かっこいい」と思う感情が、現代の若者では働き方が違うのだろうと想像する。

小さい頃から無尽蔵の刺激を与えてくれるネットとメディア。外国人や外国の映像や動画も腐るほどにあふれており、クリック一つでいくらでも刺激を得られる。まるで自分がそこに立っているかのように錯覚させるような様々な技術も発達し、色んな場所で色んなものを見ること、色んな人と交流することよりも、もっと個人的、もっと細分化されたことの方が彼らにとっての「かっこいい」の向かう先である可能性。

この二つ、つまりはメディアの問題であるということ。そして教育の問題でもあるということ。このまま放置していくのか、それともまた新しい形で若者達がかっこいいものに後先考えずに若気の至りでつっぱしっていく時代が来るのか。それは新しいメディアと教育にかかっているんだろう。

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