2013年5月6日月曜日

結局は教育


以前よりETB研究会などでお世話になっている東京工芸大学の田村幸雄先生が、名誉教授を務められる北京交通大学にいらっしゃっているとのことで、せっかくの機会だからということもあり、オフィスの見学にいらしていただいた。

田村先生は、耐風工学という建築における風の研究の世界的権威で、国際風工学会 IAWE(International Association for Wind. Engineering)という世界的組織の会長を務められている、世界でも一線のエンジニアでいらっしゃる。

海外の大学でも客員教授を務められたり、国連や政府関係のプロジェクトにも参加され忙しく世界を飛び回られている様子だが、覚えていてくれて、わざわざ連絡を下さっての今回の訪問。なんともありがたいものである。

交通大学の博士号だという二人の付き添いの中国人学生と一緒に来られ、一時間ほどオフィスで進行中のプロジェクトなどについてご説明させていただく。

その後学生達は先に大学に戻るということで、先生と一緒に近くの中庭のあるレストランでランチをご一緒させていただき、昨日コンペも終了したということで、私も久々ののんびりしたランチを過ごせるということもあり、いろいろとお話を伺わせていただいた。

「教育者は太陽の様に常にさんさんと学生に日を見返り無しに与え続けるくらいの人物で無いといけない。」

そんな言葉を何かの本でかつて読んだが、まさに「こんな先生の下で勉強することのできる学生は幸せだろうな」と思えるお話ばかり。

話は我々のオフィスに世界中から来ているインターンの話から、日本人のインターンが一人もいないこと、それには日本の教育のシステムがそれを許容しないこと、また今の日本では日本国内で全てが完結するようなシステムになっているので、教授の顔色を伺っているのに忙しい学生はとてもではないが外に視線が向かないことや、その教授もまたなんとなく国内でそれらしく振舞っているが、国際舞台で注目されるような実績や論文を残している人物は本当に減ってきてしまい、全体の教育のレベルも随分下がってきてしまっていること。

中国やアメリカの学生は本当に熱心で、ホテルまで質問に追っかけてくるという話から、日本は昔からだが勉強に対して本当に熱心ではなく、学ぶことでスキルアップをして、更に高みの世界に自分を持ち上げるという意欲が無くなって久しいのではという話まで。

日本は効率的などといわれているが、本当はかつてからどの時代でも、どの年代でも、切り取って一個人でみたら決して世界で戦える能力のある国ではなく、ただ膨大な量の残業と戦後の幸運ににも助けられて経済が上昇していっただけであり、砂の上を自転車で漕ぐかのように、一度でも止まったら倒れてしまうという状況を認識しておかなければいけないという話。

日本という国をがんじがらめにしている「システム」。震災でも変わったのは津波に対しての考え方だけであり、あれだけの社会的インパクトを持ってしても、硬直したシステムが更新されることはなく、その奥底に潜む既得権益はしっかりと守られること。

世界の中での自分の立ち位置と世界との距離をしっかり把握し、日々更新される知識と技術の中で緊張感を持って過ごす10年と、システムの中で生活を保障されて、それなりの地位で安穏とする10年。その時間の後に歴然として現れている差。

世界でプロフェッショナルとして立つ上で最も必要なのは個人力であり、職能やスキルを伸ばすべき時間に、社内政治や人間関係など他のことに時間を費やなければいけない現代の日本のシステムでは、その個人力が養われる土壌が無いということ。

それらの全ては教育が変わらないといけないという同じ根っこを持つこと。大学も国も高校も小学校も、全てが教育を変えないといけないという危機感を持つこと。そこから新しい世界で生きていく人間が育っていくこと。

「ほどほど」の厳しさの教育環境の中で、「ほどほど」の内容を教える教授の下で、「ほどほど」の学生生活を送り、「ほどほど」の会社に就職し、「ほどほど」の社会人生活を送っていく。国に期待するのも「ほどほど」で、「ほどほど」の今の暮らしが維持できればいいという考え方。

その惰性で成り立つ時代はとうに終え、日本は労働力という貯金を使い果たしてしまった今、「ほどほど」から先に進む人間を育てていかなければいけないという危機感。そうでなければあっという間に訪れるであろうパラダイム・シフト。

などなど、久しぶりに「この時間が終わってほしくないな」と思えるようなとても有意義なランチタイム。

今の自分にできることは、やりたいとかつて願ったことができているこの場所で、無駄なことに目を向けず、ただ一心に前を向き、手を動かし、頭を働かせ、目を見開いて、どこに行きたいかの目的地を曖昧でも視界の片隅に捕らえながら、緊張感の中で毎日を過ごすこと。

そして、「システム」で守られることで得られる様々な甘い蜜。それは「システム」の中で真面目に生きている限り手に入れることができるであろう、厚生年金や様々な社会保障、そして大企業の福利厚生と安定した収入と安心の老後など。それらを秤にかけても決して見劣りしない生き方ができることが若者の目にも届くようにならないと、この閉塞感というモヤはなかなか晴れないのかと想いを馳せる。

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