2013年4月17日水曜日

「サクリファイス」 近藤史恵 2010 ★★


世の中には、その世界で生きている人でないと分かり得ない事柄が沢山ある。それに少しだけでも触れる事が出切るのが読書の醍醐味でもある。自分でネットや本で調べてこの分野にたどり着くことはないけれど、何かのきっかけで手にとった一冊の中で展開される物語を通して少しだけその世界に足を踏み入れることができるのは、何とも言えない幸福なことだと思わずにいられない。

「ロードレース」なんてまさにその未開の世界の一つ。

はじめて補助輪無しで走れた日の喜びから、歩くよりも圧倒的に広がった自分の風景。辛い思いをしながらも、腰をあげて身体を左右に揺らしながら登り切った坂道の向こうに待っているジェットコースターの様な下り坂。頭を下げて恐怖と戦いながら、ブレーキをかけずにスピードに乗ることの気持ち良さ。自分の中では立派なレースを繰り広げる小学生時代。

深夜のテレビでアルプスの山々をダンシングしながら越えて行き、一日に何百キロも走りながら、最後の最後で集団から飛び出すスプリント勝負に全てをかけて、最終的にはパリの街で熱狂的な歓迎を持って迎えられるツール・ド・フランスの存在を知り、毎年出てくるニューヒーローと圧倒的に王者の戦いに夢中になった中学生時代。

そんな熱もその後は更に高くなることなく、大人になってロードサイクルにはまり、休日には100キロ以上走るという友人の話を聞いても、テレビで山の神と呼ばれながらお尻をフリフリ登って行くイタリア人選手に熱い視線を投げていたあの頃の気持ちを思い出すこともなく、世間一般の日常のちょっと便利な移動手段としての付き合いしかしてこなかった。

そんな中で手にしたこの一冊。大藪春彦賞受賞という言葉とロードレース+サスペンスというのに引っかかったのがきっかけだが、エースとアシストというチームプレーとして描かれるロードレース世界はなかなか興味深く、そのスピード感同様にあっという間に坂をおりきるかのように読みきれる。

自分が素人のせいかしれないが、ロードレースの世界に関しての記述があまりにきちんと描かれており、それが相当なリアルティを感じさせ物語に心地よい緊張感を与えてくれる。その部分がしっかりしていればしているほど、サスペンスの部分の作り込みが甘く感じてしまうが、それでも次に自転車に乗る時は、子供の時のように「アウト・イン・アウト」などと心の中でつぶやきながらコーナーを曲がる事になりそうだなと少なからずのワクワクを感じることになるだろうと思わずにいられない。

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