2013年1月21日月曜日

引き出しに仕舞う


「仕舞う」:終りにする。片付ける。入れ収める、殺して始末をつけるの意味も。

仕事場でも、家でもそうだが、物に溢れた現代社会で生活をしていると、その空間はすぐに物で溢れ、ぐちゃぐちゃと秩序のない状態に陥ることになる。適度に整理整頓をして、捨てるものは捨てて、必要なものは分類して仕舞っておく。そうしないと生活が成り立たなくなる。

テレビでよく映される「ゴミ屋敷」。あんなによく溜め込めるな・・・と思っているこちら側の我々も、ちょっとしたきっかけで止め処なく押し寄せる情報量と物量に押しつぶされ、自らを律する意思があっさりとそれらの波の呑み込まれ、一見したところは違うが本質的にゴミ屋敷という状態になんてあっという間に陥ることになる。

それと同じことが情報社会に生きる我々の頭の中でも起こっている。

経験したこと、考えたこと、見たことなどをは通常整理されることなく、やりっぱなしのぐちゃぐちゃに散らかっている状態でほったらかしにされている。デジカメで加速度的に増加するデータは、秩序立てることなくパソコンのHDの容量の上限という限界に向けて、ただひたすら無秩序に保存されるだけ。

ぱっと見ただけで分かるような、散らかりっぱなしの家に住んでいる人が、何かを出そうとしてもすぐに出てこないように、頭の中でも知識や経験への回線は混線状態。
自らが経験し、見て、聞いて、感じたこと。自分の過ごした時間を自分のだけのものとして変換してくれるはずのそれらの要素を、一度立ち止まり、それを手にとって、どんなことをその時に考えたか、を再度考えながら、一つ一つ自分で考え、その考えに言葉を与えていく。そのものをもう一度別の視点で眺めて、その時に見えなかったものを見つけ出し、自分自身で理解し、消化していく過程。その一つがブログにという言語化と視覚化の作業。

それは一つ一つを整理整頓して、引き出しの中に仕舞っていくことと極めて似ている。

ぼーっと無策に忘れていくのではなく、いつでも引き出せるように、思い出せるように整理をしてから一度忘れておく。それが重要。

引き出しがあるだけでなく、それがどの様に分類され整頓されているか、独自のシステム構築も同じくらいに重要度を増してくる。その分類と検索システムがしっかりしている人と会話をすると、知識と記憶が極めて正確に引っ張り出され、しかも情報を組み合わせることが次から次へと新たなる会話を紡ぎだしていく場面に出会う。

その心地よさ。

加速度的に増加する情報、その波に溺れるのではなく、白旗を揚げるのでもなく、出来る限り自分の身体と脳を守るために、しっかりと仕分けをして仕舞っておくこと。それが現代を生き抜く鍵であろう。

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