2013年1月13日日曜日

等比数列

先日読んでいた本の中に、戦後日本においては会社の従業員の能力は大体なだらかに入社から上がっていくのが一般的であり、それは地道な手作業や組み立て系の共同作業が業務の中心を占め、組織固有のスキルが幅を利かせていたからだという。それはつまり、同じ会社にどれだか長く所属しているかが、「仕事ができる」能力にに比例するという。

それに対して現代の仕事の在り方では、ビジネスのトレンドが頻繁に変化するために、その変化についていき、経験と知識を変幻自在に操り、新しいトレンドの中でも自らの存在意義を見つけ出せる人とそうでない人との差が大きく開いていくとする。

年を取ると、学習能力が落ちてくる。頭が段々固くなって、新しいものが吸収できなくなってしまう。ぶれない軸を持つことは大事だが、現実の変化についていかなければ、言っていることが古くなってしまう。変化の速い次代だから、キャッチアップしようという意識を無くした途端、持っている知識が陳腐化する。それを防ぐために高い意識で日々勉強し続ける必要があるが、それには体力も欠かせない。

そしてかつては、我武者羅に働いて仕事のやり方を身に着ける20代前半、次第に仕事のノウハウが見えてくる20代後半、部下もついて上と下、さらに仕事先との関係性も築けてきて、仕事がノリだす30代前半、実働部隊から徐々に管理職へ足を踏み出しだす30代後半、ある部署を任され責任を持ち出す40代、より大きなビジョンを持って企業を動かす50代、将来のトレンドを見据えて会社の行くべき道を示す60代。

などと括れた時代では、組織に属するだけで身体にかかるある種の遠心力に身体を任せていれば、描く円弧と同じように給料や待遇もよくなっていき、思考停止し培ってきた経験の上に胡坐を描いていれば、退職までもかその後の老後も十分手厚い待遇を受けられることとなっていた。

しかし、その前提が崩れ、世界規模の競争にさらされた現代は、黒船来航よりも更に大きな衝撃をもって受け止め、社会の在り方を変えていかなければいけない時代に突入している。

そんな時代に働くものとして何よりも必要なのは、常に社会に目を向けて、何が起きているか自分の目で見て考えて、何が求められているのか自分の頭で考えて、どういうことで自分の価値を社会の中でつくりあげることができるかを自分の手で実現できる。そのために不断の努力と学習を続ける強い心。それが無いければ35歳でピークアウトという説に乗っ取って、「歳はいっているが使えない」社員になってしまう。

パラダイム・シフトした世界を受け入れ、幾つになっても学び続ける。そんな人には年々増大するデータ容量とコンピューターの演算能力同様に、等比数列的にその能力も増大していくのだと実感する今日この頃。

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