2013年1月30日水曜日

「Absolute Towers」竣工のお報せ

弊社MADの設計したカナダ・トロントに建つアブソリュート・タワー(Absolute Towers)が昨年竣工したのに伴い、プロジェクトの概要などがまとまってネットに紹介された。

Absolute Towers

そのほとんどが既に事務所を離れているチームの名前と共に、Director in Chargeとして自分の名前も載っている。


「今までの常識に囚われることなく、新しい時代に相応しい建築の姿を追い求める。」

そのプロセスで幾度と無くぶち当たる様々な困難。経済性や機能性など、決して後ろにおいてくることができない与件を、厳しい条件の中、捻り出すアイデアによってクリアすること。建築の世界に身をおいている人間なら、誰でも身に染み、理解している産みの苦しみ。

「美しい」だけでは建築は成立せず、その後ろ側、一枚の竣工写真の裏側に隠れた様々な過程と乗り越えてきた困難。外からは決して目にすることの無い、身を切る思いとともに時間を過ごし、容赦のないやりあいを経て設計を前に進めていく。

その過程で学んだのは、いくら経験が足りなくとも、想いによっていくらでもそれを補えること。

三人のパートナーである、マとチュンと一緒に、必死に考え、自分達の信じるものを実現するために、何ができるか、何をしないといけないか、その為に闘い、葛藤し、言い合い、苦しみ、すべてを投げ打ってでしか、成しえないこと。

安易な妥協では誰にも感動を与えられないことは誰もが分かっていながら、問題を解くためには既存の方法が一番容易だという甘い蜜に吸い寄せられる気持ちに胸をギュウギュウ締付けながら、それでもオリジナルであろうと前を向くこと。

それほど、常識の範囲から飛び出るということがどれだけ難しいかということを身をもって実感したプロジェクトであり、我々MADに多くのことを教えてくれた時間となった。

建築というのは、設計図として未来を思い描いた時から時間が進みだし、様々な思い、様々な経験を通してプロジェクトを体験し、それが完成し、世の中に見ていただける時にはすでに建築家は次のステージでより新しいことを考えているという建築というモノの集合体がもたらす時間のスパンという宿命を背負っている。

現在も、同じように別のプロジェクトに毎日、毎時間、苦しみながら、何でこんなことをしているのだろうと思いながらも、それでも投げ出すことができない想いをもって建築に向かっていく。

いつの日か、そんな想いを持って産み出した建築が少しでも多くの人の目にとまるように。それが少しでも多くの人の素晴らしき記憶の中の空間としていつまでも残っていくように。

建築家の毎日が、この竣工写真のような晴れがましい時間ではなく、その後ろに隠れた、そして決して外部に知られることも無く、またその必要もない苦しみの時間をただ粛々と消化していくことの積み重ねであるということ。それを改めて考えるひと時となった。

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