2012年4月2日月曜日

「空飛ぶタイヤ 上・下」 池井戸潤 ★★★★


「下町ロケット」で第145回直木賞を受賞した池井戸潤の描く三菱自動車によるリコール隠しから三菱製トレーラーの車輪の運転中の脱輪による死亡事故を完全にトレースしながら、その背後で行われたであろう、大企業と中小零細との攻防。さらに脇を固める銀行の面々など、「鉄の骨」に負けず劣らぬ読み応えたっぷりの企業小説。 

こうして日本はダメになっていったんだなというのが分かるのと同時に、こんなに立派な人材が沢山在野にいる日本の可能性は低くないのにと理解する。

毎日毎日テレビで繰り返すように流されるニュースの一つ一つの後ろには、こうしていきなり当事者の役割を与えられ、大企業がそんなことをするはずがないという世間の偏見の為に、いきなり犯人扱いをされ、会社、家庭、地域とさまざまな場所で戦い続けなくてはいけなくなる事実。

それに対して、どんなことが起こっても、大企業というブランドに胡坐をかき続け、下々のことなど気にしてられないとマニュアル通りの処理をするなかで、それでも企業内部の政治を目的に日々を生きる人がいる事実。

生きることは綺麗ごとではないといいながらも、それでも魂を売ったかのように、生きる意味を日々の仕事の中では見失い、相対的に誰かと比べることでつかの間の安息を感じる人々を描写して、現代のひずみを描き出す。

「誰かが言わなきゃ変わらない。だが、それで変わるのは正しい組織だけだ。」

大きくなればなるほど、ちょっと動いただけでも周囲に与える圧力たるや強力で、それに振り回される周囲の景色は中から見ている分には滑稽ですらあるのだろうか。社会が良くなることよりも、いかに会社が生き残るか、ひいては自らが所属する部の利益が上がるか、そして自分の評価があがるかが重要で、全ては局所的な視線で語られる。

「今の世の中、商品を売ろうとするなら安くするか差別化するかのどちらか。差別化の最重要ポイントがブランドだ。」

昨今のブランディング理論で多く語られることだが、その中でも歴史ほど圧倒的に他を差別化するものはない。だからこその勘違い。

相対的にではなく絶対的に生きる為には、やはり毎日しっかり手を動かすことだと再認識できる一冊。




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