2011年6月6日月曜日

走ることの原罪

嫌で嫌でしょうがない。

大人になってなんでこんな思いをしなければいけないのか、と思いつつも、ぬけることも許される空気では無く、嫌だ嫌だといいながら暫く続けるとそれなりに愉しくなって来る毎年一回の駅伝大会の出場。

自分がその様な運動に向いてないのも充分理解するが、まぁしょうがないので、毎年2月くらいから走り出す。

毎朝、起き抜けに5キロ程走るのが習慣化してきた時にやってきた大震災。風景から一気に減ったランナーが恐れたのは、目に見えない放射能。

マスクをしながら走ってみたが、蒸れるし眼鏡は曇るしでギブアップ。

そんなこんなで走れない日々が続くと、溜まってくるのはストレスと体内脂肪。

これはいかんと、意を決して内部被爆を覚悟し走りにいくと、数週間のうちに増加した体重を支える足首への負担は相当なものなのか、3キロ過ぎから、左足首への鈍痛が起こり、怠けたせいだ、と根性論で走り続けるが、5キロを過ぎるととてもじゃないが走れるような痛みではなく、張り切り過ぎてきて辿り着いてしまった皇居から、足を引きづりながらトボトボ1時間かけて歩いて帰宅。

足首をかばったせいか、翌日は左右の股関節も一緒に激しい痛みを伴い、びっこを引きながら整形外科へ。

診断されるのは

【シンスプリント】

思わず頭の中で当て字によって翻訳し

【走ることの原罪??】

日本人特有の発音も手伝って、
向こう脛(Shin)より、原罪(Sin)を。
当て木(splints)よりも、全力疾走(sprint)を選択し、海馬を騙し脳に原罪を認知させ、

「背負うのは十字架では無く、肥大した体重ということか」

などとただの骨膜炎を自己ドラマタイズし、ゴルゴタの丘を目指すかのごとく足をひきづる生活を続けはや2ヶ月。そろそろいいだろうと走ってみると響く鈍痛。

恐るべし原罪・・・

復活の日はまだ遠そうだ。

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