2010年12月12日日曜日

「1億総ガキ社会 成熟拒否という病」 片田珠美 光文社文庫 2010 ★
















北京に向かう成田の本屋で平積みにされているタイトルを見て、これはまさに読まなければと手にした一冊。

撃たれ弱く、他責的で、すぐに依存症に陥る現代の日本の若者。自分はなんでもできる存在であるはず、という幼児的な万能感から脱却できず、それほどでもない等身大の自分とのギャップを埋めることができない。そして陥るのは、何でも他人のせいにする新型のうつ病。もしくは覚せい剤や合成麻薬などに頼り、依存症へと落ちていく。その背景にあるのは、対象喪失をきちんと受け止められない人々が増え、成熟することができない社会。たちが悪いのは、自分がそうなっていることすら気付かない人々。

大人になるということは、挫折に挫折を繰り返し、親の期待とも折り合いをつけながら、自らの卑小さを自覚していく過程であり、それはつまり己の身の程を知りながら、断念を受け入れていくのだが、それに対する成熟拒否。大人になるというのは「なんでもできるようになること」ではなく、むしろ「何でもできるわけではないということを受け入れていく」過程だが、それを見えているが見えないふりをし続ける子供の心を持ち続ける大人たち。

それは、発達過程で適度にストレスに曝される経験を十分に経てこなかったことが深く関係し、すぐにキレる、弱い者いじめの形で発散、もしくはおうちという安全地帯に避難しひたすらひきこもるか、不安を消してくれるケミカルに走るか・・・

自分は頑張っているのに認めてもらえない・・・。その反動は一昔前のメランコリー親和型で、自責的なうつに対し、他人を責める「新型うつ」として現れる。戦後民主主義社会の理念が規範からの解放であり、反体制であり、禁止することが禁止された時代を目撃した子供たちが目指したのは、自己の開花、自己実現、自分らしさ、自分探し・・・。しかし、多くの人々には、確固たる自己などないのだし、実現すべき自己などないのである。将来どんな事をしたいと思っているの?に確固として答える人がどれくらいいるのか?またそれに答えることが素敵な人生を送っていることの証拠になるんだと誰がすりこんだのか?

○○をあきらめないで。のフレーズに代表される、自己愛を補完する商品広告。非正規社員の割合が増えて、結婚の世話までみようとしない上司の増加もそうだが、結婚できないというのは、経済力がない、甲斐性がない、容姿がさえない、魅力がない、というレッテルを貼られることで、その負け犬にならないように一人ひとり励む・婚活ブーム。そういう社会は責任をそれぞれ個人で背負うものだと皆が気づかぬ内に選択をしてきたにもかかわらず。

キューブラー・ロスの「死の5段階」。死を迎える末期患者に現れる反応は、否認・怒り・取引・抑うつ・受容。こんなことが起こるのは、自分のはずがない。きっと誰かと間違えているんだ・・・。という第一段階から、なんでちゃんと生きてきた自分がこんな目にあわなければいけないんだ・・・という第二段階。そこでぴったりと止まってしまう、成熟拒否という病。

でも、だって、と一時的に自己擁護を繰り返す若者。自分にはもっと素敵な相手が見つかるはずだ、だって自分はこんなに頑張っているんだから、と受容をひたすら先延ばしにし、婚活という言葉にすら救われるアラサー世代。声にはでない果てない現代の極めて個人主義的な欲望の渦が見えそうな今。

概ねこんな内容で、自分を含め、確かに身の回りで日々感じることをしっかりと鑑定しているが、いかんせん、結が甘い。転ぶことでこそ大人になることに気づく、だから小さい時から過保護はやめて、自分でやらせましょう的な非常に曖昧な方向性しか示されないのに、なんだか消化不良。もっとバッサリと、皆甘すぎると切り落としてくれればいいのにと。

今年の裏流行語大賞・無縁社会にも直結する成熟拒否症候群。世界からみれば、ひきこむることができることすら既に恵まれている環境。自分のことで精一杯な社会ではそりゃ100歳以上は行方知れず。いったい10年後はどうなってしまうのか、とことん暗くなる年末に、せめてそんな社会を受け入れるような建築はどんなもんかと考える。

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