2010年5月24日月曜日

一年越しのタスキ















昨年のこの時期に、病院の集中治療室のベッドの上にいた。

同年代の友人と昨年から開始した駅伝チーム。健康維持を当初目的で始まったのだが、目標が必要ということで、4人で一チームの各3チームの計12人のメンバーで、5月の末に行われる谷川真理駅伝に参加した。

だが、仕事に追われての睡眠不足と当日の高湿度が重なり、残り100mというところで脱水症状に見舞われ意識を失ってしまう。

意識の無いまま、その場にいた大会担当の医者にAEDを当てられ、救急車で近くの緊急病院に運び込まれる。チームメンバーは駅伝どころではなくなってしまい、皆タクシーで救急車を追って病院に駆けつけてくれた。

意識が戻ったのは救急車の中で、何が起こったのか理解できず、目の前にいる沢山の医者と看護婦の顔を眺める。

看護婦さんから「名前は言えますか?」と聞かれ、答えるが、看護婦さんが繰り返す名前がまったく違い、言葉がはっきり言えない事を知る。

本当に一度死んでしまったのではと思うくらいの恐怖に襲われ、後遺症が残るのではと思うが、その後遺症という単語も思い浮かばない。体中に管を挿され、今は何も考えずに身体を休めないととひたすら思い、目を閉じる。

集中治療室ということがあり、家族以外は中に入れない。駅伝のメンバーの中の、同じ高校の友達が携帯から兄へ連絡を入れてくれて、暫くすると川崎から兄が病室に来てくれた。

極度の脱水症状で血液中の水分が失われ、脳に血液が循環しなくなったことが理由というので、ひたすら点滴から血液に水分を与え、尿道に挿された管により排泄することを繰り返す。

結局3日間集中治療室から出してもらえず、ただただ身体を休めてやり、なんとか無事に退院できたときは、本当に後遺症も残らず、歩いて病院をでれたことに感謝した。

それから一年。繋げることが出来なかったタスキによって止まった時間を再度動かす為に、去年と変わらぬメンバーで今度は皇居の周り(一周5km)を、3チームに分かれてタスキを繋ぐという大会を開催した。

体調を整え、無理の無いペース配分を身体に覚えさす為に時間を見つけては夜中の芝公園周辺を走りこみ、前日の睡眠も十分で本番に臨む。

小雨の降りしきる中の本番になったが、9;30に第一走者のスタート。20分を過ぎ、そろそろ第二走者の準備。24分を切るタイムで入ってくるトップのレオ君。ヒデがタスキを受け取り走り出し、その後に我がチームのキノジュンが戻ってくる。タスキを受け取り走り出す。代官町の坂で心が折れそうにないつつも、なんとか24分で走りきり、3走のけんちゃんにタスキを繋ぐ。一年越しの想いと時間ののったタスキを繋げたことにただただ感動。そして無事に走りきれたことにほっとする。

第4走者のマーシーの激走も及ばず二位だったが、とにかく皆が無事に走り、タスキがしっかり戻ってきたことが嬉しかった。皆でお金を出し合って用意した優勝トロフィーを個人優勝のDに授与され、皆で美味しいビールを飲みながらの打ち上げ。ワイワイ騒ぎながらのとても楽しい時間を過ごしていると、お店のおばちゃんに「若いっていいですね」と。決して若くはないんだろうが、確かにこのメンバーはいつまでも若いんだろうなと思う。

昼過ぎには皆次の大会への気持ちを確かめつつ、ほろ酔いで家路に着く。全身筋肉痛だけど、それ以上の幸福感に包まれる昼下がり。一年分の解放感を身体に感じながら、悪くないなと思わずにいられない。







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