2006年1月10日火曜日

村なるもの


先日、卒業以来となる中学校の同窓会に参加した。元生徒会長のがんばりのお陰で、小規模の学校にも関わらず、半数近くの高参加率でかなりの盛り上がりを見せた。

驚いたことに、軽く干支一周するくらいの時間が流れたのにも関わらず皆当時の役割がそのまんまだということ。ナイス
ポジションキープな訳である。トータルフットボールよりカテナチオというところか。大部分の人が同じ地域で、同じ人間関係の中で生き、それが結構心地いい状況になっているという訳だ。そしてそのなかで子供ができ、彼等がまた同じ幼稚園に通う同級生になりつつある。完璧な村構造だ。

そんななか三浦展著「下流社会」(光文社新書)を読むと、団塊ジュニア世代の二層化などど銘うって、この状況をうまく数字を並べて論じてる。グローバリゼーションと村化の同時性かと、ふむふむと思いながら北京に戻る。

そんな矢先北京友達と行ったハルビンでなにやらよく分からない言葉が飛び交った。よくよく聞くと、ミクシィなるものらしい。ソーシャル
ネットワークシステム。簡単に言えば、ネット版村な訳でしょ。つまり村だらけ。まんだらけみたいなものか。

これはまずいと、昨年友人から送られた招待メールで訳もわからず登録しておいたミクシィにアクセス。もちろんパスワードなんか忘れてるから再発行。晴れて村デビューを果たした。まだまだ半人前の村人か。

ぐだぐだ書いたが要約すると、村八分にならないようにしようかなと思う今日この頃。つまり「下流社会」の次は「差別社会
かと戦々恐々する訳である。

草々

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